セピア

 

紫色の唇は寒さの証。加村佑介はそっと指で擦り、玉水涼子の唇に熱を与える。

二人は水着姿で、白い円形テーブルを囲んで坐っていた。涼子は食べかけのソフトクリームを加村に手渡して、照れ臭そうに目を細めて謝る。

「ごめん、佑介。やっぱり、こんなに食べれないわ」

「仕方ないな」

加村は笑顔で二本目のソフトクリームを口に含む。涼子の舌で斜めに削り取られたソフトクリームは、今は加村の舌をひんやりと冷やし、舐められて、斜面を平面に変え、食べられて、コーンの先っぽまで加村の食道を通り、胃の中へと吸い込まれていった。

「ごちそうさま」

加村はクリームのついた唇を手の甲で拭おうとする。その手を涼子が掴んで制した。涼子のとろんとした目は情欲に満ちていた。加村は察して静かに目を閉じる。

涼子はテーブルに手を着き、身を乗り出した。紫色の唇を加村の赤い唇に重ねる。涼子の口から舌が伸びて、べとべとのクリームを綺麗に舐め取っていく。加村は涼子の後頭部を掴んで引き寄せ、二人は密着して舌の絡ませ合いに暫し夢中になった。

「愛してるよ」

紫色の唇を離して涼子は言った。加村も復唱する。二人は愛し合い、秋には結婚する予定の婚約者だった。高校生の時分、友人の紹介を受けて知り合い、加村は一目で恋に落ちてしまった。涼子にその気はなかったが、加村の誠意ある懸命な姿勢に、やがて涼子は初恋に落ちた。

加村は涼子の容姿を愛した。今年で二十四になる涼子は、少女のようなあどけなさを保ち、肉体は完璧な大人の女性へと成長していた。巨乳の範疇に入るであろう豊満な胸、張りのある整ったヒップ、余分な肉が一切ない脚線美に、水泳で鍛えられた括れのある腰のライン、それらは涼子の核兵器であり、他の女性を凌駕する、涼子の最大の魅力であった。

涼子は加村の内面を愛した。酒に溺れて暴れ狂う父の幻影に怯え、涼子は男性不信に陥った。自然と男性との距離を置くようになり、心に強固な壁を築きあげて、容姿目当てで言い寄る男を残らず拒んでいた。その難攻不落の壁を破壊したのが加村だった。お世辞にも端正な顔立ちとは言えない加村だったが、根っからの負けず嫌いであり、狙った獲物は逃がさない、情熱的な姿勢が功を奏し、涼子の壁を突き破り、心の闇を晴らせたようだ。そのかいあって、今では親以上に心を許せる大切な存在になっていた。

「そろそろ泳ごうか」

シャワーに濡れて皮膚に張り付いた豊かな髪、黄緑の薄い布で胸と尻を包み隠した、ビキニ姿の涼子に、加村は手を差し伸べた。

「うん、いきましょ」

シャワーに濡れても影響を受けない短く刈り込まれた髪に、ぴっちりと股間に張り付いた競泳パンツ姿の加村の手を、涼子は掴んだ。

二人は立ち上がり、手を握り合って歩いていく。

目の前に広がるすり鉢型の屋外プール、通称『セピア』が、膨大な水量を以て三千人を越える来場者の大半を泳がせていた。

 

軽い準備体操をこなし、プールの縁から二人は順に体を沈めた。加村は腰まで水に浸され、身長の低い涼子は肩まですっぽり水に浸かった。

二人の周囲から波紋が拡がり、水面が若干上下に揺れて、二人はとっぷり広大なセピアの世界に誘われた。

「ねえ、なんだか寒くない」

涼子が濡れた肩を摩って、加村に言った。

「当たり前だろ、さっきアイス食べたんだから」

加村は鼻で笑った。冷えた体でプールに入れば当然だ。

「そうなんだけど、ちょっと違う寒さって言うか」

涼子は非難するような目付きで、加村に訴えかけた。

「何言ってんだよ、いいから早く泳ごうぜ」

加村は顔をしかめて、涼子の手を引く。僅かに横に移動すると、二人の元いた地点にビーチボールを持った男が飛び込んできた。続いて、友人であろうへそにピアスや肩に刺青をした男が飛び込む。セピアの水面に両足から落ち、ボシャンと音を立てて、大きな水飛沫が周囲に舞い上る。子供を連れた母親、老夫婦、そして加村と涼子の頭上に水の弾がぼたぼた降りかかった。

「おいー、なにするんだよお、冷たいじゃないかよお」

近くにいた、水泳キャップを被った少年が男達に食ってかかった。隣にいる母親はやめなさいと少年の口を押さえる。二人は同じくらいの身長で、肩まで水が浸かっていた。先ほどの衝撃の影響で水面が揺れ、顎の辺りまで水が撥ねてくる。刺青をした男が少年を睨みつけた。

「なんか文句あんのか、こら」

刺青の男は怒気を含んだ声を発し、仲間の数人も揃って少年に睨みを利かせる。背丈の差が三十センチはあろう体格差に少年はたじろぎ、母親は少年を後に庇って何度も頭を下げた。下げた頭は何度も水中に潜っては、引き上げられ、母親は顔中水浸しになった。先細りになった髪から夥しい量の水が滴り落ちる。不安げに加村の後ろに隠れて覗いていた涼子は、少年の母親に異変を感じた。

「佑介。ちょっと見てあれ」

涼子が指差した方向を加村は注視した。差されたのは少年の母親の顔だった。目を凝らして眺めると加村もある異変に気づいた。恐らく四十代前後であろう母親の肌は、元からシミついて変色した部分も見受けられたが、水に濡れた部分が赤みがかっていた。水に浸されて薄まったどころではなく、皮膚が剥がされ、中の肉が覗いたような不気味な色だった。加えて水着周辺の濡れた肌も赤みがかっていた。更に周囲を見渡すと、少年と男達、そして涼子の肌も赤みがかっていた。

加村は得体の知れない出来事に絶句した。

「ねっ、おかしいでしょ」

涼子は冷静に状況を分析し、プールから上がろうと加村に促した。加村は変色した自身の胸辺りを見て思わず頷いた。

二人は静かにプールから上がっていった。縁の傍で未だに揉めている男達と少年と母親の濡れた肌は、極めて濃い赤を示していた。

 

二人はセピアの外周に設置された、ファーストフード店前にある、白い円形テーブルに坐った。水に濡れなければ色は変わらないと踏んだ涼子の意見からだ。加村は涼子の意見に半信半疑ながら、二人は先程の奇怪な出来事について話を始めた。

「やっぱりこのプールなんかおかしいよ。薬か何か入ってるのかも」

言った涼子の唇は紫色だった。加村は寒いのかと訊いてみた。

「もう寒くないよ。なんで」

加村は口をつぐんだ。大して気になったわけではなく、言う必要もなかった些細な疑問だった。そして気になっていた涼子の胸に視線を向けて言った。

「涼子、お前の胸、そんなに小さかったか」

「はあ、こんな時に何言ってんのよ」

こんな時に。涼子の回答に加村は胸が悪くなった。愛する涼子の完璧な肉体の変化は、加村にとって取り分け重要視されていた。加村は目を開いて涼子の顔に言った。

「それに、お前の顔ちょっと濃くなってないか。前はもっと白かったろ」

「なにいってるの。佑介だって濃くなってるじゃない」

涼子は顔を強張らせて言った。裏切られた気持ちになり、加村は涼子を睨みつけた。

涼子の顔が視認できるほど、汚い赤に染まっていたのを加村は心配した。加村好みの美貌を崩され、人体模型のようなおぞましい生物に変わってしまうんじゃないか。加村の胸にわだかまる恐怖は、セピアの不思議な効能を取り除かれ、愛する涼子の変貌だけになっていた。

「もういいよ」

加村は拗ねて、投げ遣り気味に言った。

「なにがいいのよ」

加村の態度が癇に障り、涼子は問い詰める。しかし加村は無言だった。

涼子は苛立ちが募り、落ち着きなく地団駄を踏んだ。衝撃でテーブルが不規則に揺れた。加村は無感動に俯いて押し黙った。

「何か言いなさいよ」

涼子は痺れを切らして言うが加村は応えなかった。

「分かったわ。もう帰りましょ。三十分後、更衣室の前で集合ね」

涼子はテーブルを叩きつけ、不機嫌そうに席を立った。加村は終止無言に徹した。

加村が顔を上げた頃には涼子の姿は無かった。ふと豊満な胸とあどけない笑顔を持ち合わせていた、昨日の涼子が頭に浮かんだ。

加村は長い溜息をついて、席を立った。

 

女子更衣室は人で賑わっていた。

人の身長の二倍はあろうロッカーが数十個、数十列に及んで並び、床はウレタンコーディング、防水加工が施された艶のある木が張り巡らされていた。ロッカーも木製のようで、輪切りにされた木目が浮かび上がっている。

涼子は一台のロッカーに手をつき、ビキニパンツを下ろしていた。胸のブラジャーは既に取り外され、弾力ある胸が上下に揺れ動く。ビキニパンツはロッカーに収納された有名ブランド物のバッグの中に仕舞われた。

「ちょっと、なにあの人」

涼子から程よく離れたロッカーにいた女の囁き声、近くにいた友達数人に聞こえるように告げた。

ワンピースに、パレオを巻いた彼女の友人二人は、涼子に近寄って、声をかけた。

「あの、その顔どうなされたんですか」

不審そうな呼びかけに、涼子は水滴が付着した体をタオルで隠して、彼女達を睨んだ。

「どうなされたとは、何でしょうか」

自分の顔に何か不満があるのか。加村との一悶着もあって、涼子は気分を損ねていた。

激高に歪んだ涼子の表情に、彼女達は怯えた目をして、数歩後じさった。三人のやり取りに気づいた周囲の女性の視線が涼子に集められた。

「うわっ、なにこれ。キモッ」

その内の一人、浅黒い肌をした派手な金髪の女に、涼子は貶められた。周囲を席巻した人々も口には出さないものの、涼子をゴミでも見つけたかのような冷たい目で見据えていた。涼子の顔が険しくなり、重苦しい空気が室内に蔓延した。

「ねえ、いこ」

涼子の毅然とした態度に怯え、ワンピースとパレオの女は自分のロッカーに戻っていった。金髪の女は暫し涼子を観察していたが、群集の視線が涼子から外れされると、自分も合わせてそっぽを向き、言葉を詰まらせた。

「なんなのよ」

小さな嘆きを吐いて、涼子は服を着替える。

黒のTシャツに、ショートパンツのラフな服装になった。モデルのような体型とは対照的に、服装に特別なこだわりはなかった。涼子は女性の中でも無頓着な部類に数えられるだろう。

まだ乾かぬ濡れた髪にタオルを巻き、涼子は洗面台の前に坐る。

「うわっ」

隣に坐る女が押し殺し切れなかった悲鳴をあげた。涼子の顔に驚愕したらしい。涼子は疲れた顔で女を一瞥し、円形の鏡に映し出された自分の顔に目を留めた。

「うわっ、なにこれー、どうなってんのよ」

涼子は鏡に顔を近づけ、漸く恐怖と軽蔑が入り混じった眼差しの意味を理解した。

涼子の頬は皮膚が剥がれたような、火傷の痕のような、肌の赤みが進行して、毒々しい黒になっていた。

水に濡れなかった額は原色を留め、涼子の顔はパンダのようにはっきりと二色化していた。

「どうしようこれ」

涼子の顔が泣きそうに歪んだ。

 

加村佑介は何処へ行くでもなしに、広大なセピアの外周を歩き続けた。

愛する涼子の容姿の変化に、失意と絶望の念を抱いていた。涼子の一番の魅力は失われてしまった。考えただけで嘆息が漏れた。

「グレープフルーツジュース、一つ下さい」

加村は売店に立ち寄り、女性店員に注文を頼んだ。財布を取り出そうとポケットに手を差し入れる仕草を取る。その時加村は気付いた。財布は涼子が握っていて、自分は一銭も持っていなかったのだ。慌てた加村は地面を見渡し、小銭を必死に探した。案の定なかったので、体を横にして、売店と地面の隙間に生じた漆黒の空間を覗き見る。脇を通るカップルにせせら笑われた。

「お待たせしました。グループフルーツジュースになります」

無常にも店員が先にジュースを運んで来た。店員は加村を探す。這うようにしゃがんでいて見えていない。

「はい、200円ね」

地面にへばり付く加村の横を、細長い足が立ち止まった。加村が顔を上げると、見事なまでに均整のとれた体を魅せた、ブロンドの髪をした美女が加村にジュースのカップを差し出していた。虹彩は鮮やかなエメラルドグリーンをして、紛れもない外国人女性の風貌だ。

「セ、センキュ」

加村は片言の英語を返し、素早く立ち上がってジュースを受け取った。女は無垢に笑う。

加村が照れ臭そうに頭を掻き、女は加村の手を引いて歩き出した。加村は引き摺られる格好になって転びそうに歩いた。ジュースのコップが手から滑り落ちて、遠くに転がっていった。

「あ、あの、なにを」

加村は不安そうに言った。女は加村にウインクで応える。加村は何も言わなくなった。妙に期待感に駆られ、胸が踊った。

二人は暫く歩いた。加村は在りのままに身を任せようと決意を固め、涼子を忘れて、この女性に一目で恋のような感情を覚えてしまっていた。

「どうぞ、おかけ下さい」

女に連れてこられた先は、パラソルの下に設置された白い円形テーブルだった。外周の至る地点で設置されている代わり映えのしない、加村が見飽きたテーブルだ。涼子を思い出して、辛くなるからだろうが。

テーブルには白い椅子が四つ並び、中央にはノートパソコンを叩くスーツ姿の男が坐っていた。両脇の椅子に、先程の女ともう一人のブロンドの女が坐る。二人とも肉付きのよい外国人だった。

加村は一礼し、女に促された、男と正面の椅子に、意味も分からず腰を下ろす。

「あ、あの、わたしに何か用でしょうか」

明らかな怪しい展開に、加村は一時の感情に身を委ねた自分が嫌になった。肩を竦めて恐々と目を伏せる。

腹から振り絞った聞き取れないほどか細い声に気付き、男は唇に微笑を湛えて、手を挙げた。

「加村さんに、コーヒーをお出しして」

男が言うと、両脇のブロンドの美女が立ち上がり、売店へと駆けて行った。

「なんなんだ一体」

ぽつりと漏らし、加村の顔は泣きそうに歪んだ。

 

「いえね、私は何も加村さんを取って食おうってわけじゃないんですよ」

加村の正面に坐る男が言った。視線は、ノートパソコンの画面と加村の顔を交互に走らせている。

「では、わたしに何の御用でしょうか」

加村は問いかけて、出されたアイスコーヒーを口に含んだ。両脇にいたブロンドの美女が肩や腰を揉んでくれ、加村は平常心を取り戻していた。

「意識調査と言いましょうか、質問が幾つかございましてね。それに、答えて頂くのが用件です。ああ、それと、セピアの説明を少しばかり」

含んだコーヒーを飲み干し、セピアとは何だと加村は尋ねた。

「おや、ご存じないんですか。招待状に書いてあったと思うんですが、このすり鉢型の巨大プールのことです。色褪せるという意味でセピアと名付けました」

加村は片眉を上げて、腕を組んだ。加村は招待状の存在を知らなかった。過去を遡って、脳の片隅に置かれた一週間分の記憶の上澄みを掬い上げてみる。そこに招待状は入っていなかった。

「玉水さんが受け取ったのかな。まあ、知らなくても問題ありませんから、ご安心を」

男は笑顔で宥めた。加村はこのプールに訪れたときのことを思い浮かべる。財布は涼子が握っていたのは記憶している。だが、涼子がチケットを買った情景は思い出せない。或いは、招待状を使って入ったからかもしれない。そもそも涼子がプールに行こうと言い出したのであって、加村は一切の情報を与えられていなかった。加村はただのでかいプールだと、セピアに出向くまで稚拙な認識しかしていなかったのだ。

いや、そんなことよりも。

加村は打ち消して、ずっと気になっていた質問を男に投げかけた。

「なんで、わたしと涼子の名前を知ってるんですか」

男は屈託のない無邪気な笑みを作った。

「私は支配人ですから」

男は嬉しそうに応えた。

 

まずはセピアの簡単な説明を。

セピアは私が酔狂で造らせた、すり鉢型の巨大プールの名称です。半径二百五十メートル、直径は五百メートルにも及びます。外周にはファーストフード店やあんころ餅屋、果てまたウズラ掬いといった、バラエティーに富んだ店舗をご用意させて頂きました、料金は百円から最高五百円までで、良心的な値段だと思います。何しろ酔狂ですので、お金儲けには興味がございません。思う存分夏のプールを楽しんで頂きたい、それだけなんです。

「それで、続けてください」

男がそこで黙ったので、加村は続きを促した。

「以上です」

男の応えに、加村は呆れたように溜息をついた。

「じゃあ、もう帰っていいんですかね」

「いえいえ、セピアの説明が以上ということです」

男は微笑み、手を挙げて加村の肩を揉ませていた、ブロンドの美女二人を呼び戻した。今度は男の肩を揉むよう命じて、二人は笑顔で従った。

「ああ、そうそう、忘れてました。セピアは入場料を取りません。私が厳選した人達に、招待状を送って来て頂くスタイル、というか、スタンスを取らせて頂いております。多数の方で混み合うと、お客様が気分を害されますからね。何しろ酔狂ですので、お金儲けには興味がございません」

男はうっとりと目を細めて言った。肩を揉まれる快感に首を後に反らしている。

「その選考基準は何ですか、わたしの何がお気に召したのでしょうか」

加村は皮肉めいた言い方で訊いた。

「全てです。加村さんと玉水さんは素晴らしい人です。私の嗜好にがっちり合った。それが理由です」

男の曖昧な見解に、加村はむかっ腹が立ってきた。

「それと、もうばらしちゃいましょうか。今回お呼びしたお客様、延べ三千五百名の方に起こし頂いたんですが、実の所、私が選んだのははお二人、加村さんと玉水さんだけです。後の方は適当に選ばせて貰いました。エキストラの皆さんに興味はありませんからね」

意味の分からない言葉の羅列に、加村は詳しい説明をしてくれと言った。男は笑った。

「私が分かっていればいいんですよ。ではそろそろ、本題に入ります。幾つかの質問に、嘘偽りなく応えてくださいね」

男は、質問は五十問あると付け加えた。

 

思えば、男女関係を平行に保ち続けるのは、難しいものですよね。

私も過去に何度か女性と交際した経験があるんですが、いずれも失敗しましたよ。いえね、私が悪いんじゃないんですよ。大抵は浮気されて、容姿の優れた男性に鞍替えされちゃったりしたんですよ。ほんと、女性と言うのは、我侭というか、理不尽と言うか、好きになったら、イノシシみたいに突っ走って、手元から離れて行っちゃいますよねえ。女性経験豊富な加村さんなら、そんな経験、腐るほどなさったでしょうけど。

「ないよ、涼子以外の女性と付き合ったことないですから」

男の話を、気怠そうに聞いていた加村は否を唱えた。

「へえ、ほんとかなあ」

男は意地悪に尋ねた。

「ほんとですよ。支配人のあなたならご存知でしょうけどね」

加村は額に青筋を浮かべて、怒気を荒げた。

「まあまあ、落ち着いて下さい。君たち、加村さんにコーヒーのお代わりをお出しして」

ブロンドの美女二人が売店に走っていった。揺れ動く胸に、加村は頬を緩めて見送った。

「それで、質問とは」

加村は頬を叩いて、気を引き締めた。

「そうですね、一問目の答えはもう出たので、二問目の質問から参ります。加村さんは玉水さんと結婚する予定だそうですが、実際の所、他に好みの女性が現れれば鞍替えを考えますか。イエスか、ノーでお応えください」

名前だけならまだしも、私的な事情まで把握されてることを知って、加村の顔が曇った。

「ノーです」

それでも加村は真摯に応えた。

「なるほど、イエスですか」

男が微笑んで言った。

 

玉水涼子は色褪せる容姿に恐怖を覚え、目を除いて、タオルで隙間なく顔をぐるぐる巻きにしていた。露出された体の黒い肌と合わせてイスラムの女性を思わせる風貌だ。

涼子は通り行く人々の嫌な視線に目を背けながら、更衣室前で立ち疎み、折り畳み式の携帯電話を開いて時刻を確認した。加村との待ち合わせ時刻は、疾うの昔に経過していた。別れてから凡そ二時間だ。

きつく言い過ぎただろうか。愛し合い、長い付き合いである加村に、素っ気無く接してしまった。加村の気持ちを汲み取ってあげれなかった。後悔の念ばかりが涼子の胸を締め付けていた。

「突然、失礼します。あなたが玉水涼子さんですよね」

涼子の覗いた双眸にスーツ姿の男が映った。背丈は二メートルはあろう巨漢の男だった。全身セピアに浸かったような褐色の肌が仰々しい。それが男の地肌だということに気付くまで、涼子は数秒の時間を要した。

「はい、そうですけど」

涼子が遅れて応えた。男はにやりと笑い、涼子の背中に腕を回して抱き抱えた。涼子は唖然として声も出せずに、何処かへ運搬されていった。

「な、なにするんですか、離して下さい」

涼子の拒絶の言葉に男は耳を傾けなかった。黙々と長い廊下を歩いていく。涼子は手足をばたつかせて悲鳴をあげるが、行き交う人々は見て見ぬ振りをしていた。タオル奥の涼子はぐっと下唇を噛んで、目に涙を湛えた。

行き着いた先は、真っ暗な倉庫だった。暗闇の中に放り込まれた涼子は、周囲に複数の人間が潜んでいる気配を察した。

「では、始めましょうか」

涼子を運んだ男がドアを閉めて、部屋のスイッチを入れた。

天井の電灯が数度瞬き、部屋中に明かりが点った。涼子は周囲を見渡した。まず、部屋の隅のマットの上に坐っているのが自覚できた。

そして取り囲むように五人の男が立っていた。それも容姿の優れたモデルや俳優に抜擢されそうな逸材ばかりだ。涼子は頬を赤らめて目を反らした。

自惚れた頬は、すぐに血の気が引いていった。ドア側の壁には、SMで用いられそうな道具に、人間一人が収まりそうなバスタブが透明な水で満たされていた。

涼子は考えられる道具の用途に、はっとした。壁に背中をぴったり着けて、体を丸める。

「どうかしましたか玉水さん。ちょっと、質問に応えて欲しいんですが、よろしいでしょうか」

男の一人が和やかに話した。涼子は頭を抱えて無言に徹した。潤んだ目から、恐怖のあまり涙が零れた。どす黒く変色していた頬を伝って、タオルに落ちる。男の一人は気に留めず、淡々と語った。

「まず、第一問なんですが、これは支配人から出さなくていいとのことですので、二問目から参ります。涼子さん、あなたは秋に結婚する予定だそうですが、愛する加村佑介さん以上に容姿、またはお金持ちの男性が現れたとき、加村さんと別れて、付き合いたいと思いますか」

涼子はピクリと体を震わせた。男の質問に、恐怖で鈍っていた思考が動き出した。彼らは自分と加村を知っている。結婚することも知っている。つまり、これは誘拐なのだ。涼子は素早く状況を分析した結果、そんな結論を弾き出した。

「一体何が目的なんですか。こんなことしてただで済むと思っているんですか。警察を呼びますよ」

涼子は立ち上がって気丈に言った。男性不信に陥った時期の防御壁であった、気の強さが涼子には残されていた。

ドアの前で立ち尽くしていた巨漢の男は過敏に反応し、歯軋りを立てて涼子の髪を掴んできた。涼子の頭が壁に叩きつけられた。

「ああっ」

呻くような悲鳴と供に、顔に巻かれていたタオルがはらりと空を舞った。男達は息を呑んだ。

露出された涼子の顔は、墨汁に長年漬け込んだような黒さを帯びて、水に濡れなかった、額の部分までもが赤く変色し始めていた。

「予定より変色が早いな。急ぐぞ」

巨漢の男は冷笑を浮かべて、男達に言った。

 

「おや。どうやら、準備が整ったようです。質問を打ち切りますので、モニターの画面をご覧下さい」

加村の前に坐る男が携帯を切って言った。加村は三十問の質問に応えていた。いずれもノーと応えたが男にはイエスと受け取られた。主に涼子への愛を確かめるような質問だった。加村を試していたような、回りくどい質問に、加村は怒り浸透しながらも応えていた。激情しやすい負けず嫌いな加村の性格を逆手に取られ、まんまと男の術中にはまっていたのかもしれない。

男はノートパソコンを加村側に翻した。目を伏せる加村の名を呼んで、画面を指差す。

「ほら、涼子さんですよ。よく見てあげてください」

男の言葉に、加村は頭を上げて画面を見据えた。画面一杯に動画が再生されていた。複数の男に尋問を受けてる女だ。顔が炭色をして、胸は可も無く不可もなく、足は程ほどに太い女だった。

加村は男が嘘をついたと分かり、がっかりして俯いた。

「どうしたんですか加村さん。この方は紛れもなく涼子さんですよ」

男の言葉に加村は耳を貸さなかった。加村の頭には昨日の涼子の姿があった。色白で目鼻の筋がはっきりとしてて、豊満な胸に、乱れのない脚線美が魅力的な涼子を。

「加村さん、見てくれないと困るんです。早く涼子さんを見てあげてください」

加村は無言で首を横に振った。男の表情に焦りの色が浮かぶ、額には冷や汗が滲んでいた。

男は両脇のブランドの美女に加村にサービスするよう促した。加村は反応して顔を上げた。女は迷いなくブラジャーを脱ぎだした。はちきれんばかりの胸、尖った乳首がぼろんと零れて、淫らに震動した。

「な、なにをしてるんですか。そんな格好しちゃって」

加村は生き返った。目に生気が宿り、生唾を飲み込む。言いながらも視線は完全に画面を越えて、女の双乳に釘付けになっていた。暫くすると女は水着に胸の肉を詰め直した。

「もっと見たかったら、まず画面を見てください。じゃないと私が困ります」

男は泣きそうに顔を歪めて言った。余程都合が悪いことのようだ。加村は情欲に突き動かされ、深く頷いた。男に笑顔が戻った。

「いいですか、この人は涼子さんなんです。そのことを踏まえて、よく見ておいてくださいね」

念を押す男の言葉を無視して、加村は画面を凝視した。

 

玉水涼子は顔を覆い隠して、すすり泣いていた。

微かに聞こえる男達の質問に、無感動にイエスかノーで、応えを返していた。

質問の深い意味を考えず、涼子が単一的に応えていたのを男達は理解していたが、構わずさっさと質問を続けた。さほど、重要ではないのかもしれない。

五十近くの質問を終えると、巨漢の男が涼子の手を強引に剥がした。

「やめて、やめてください」

涼子は涙で崩れた黒い顔を恥じて言った。

男は無表情に涼子の服に手をかけ、黒のTシャツにショートパンツは、男の膂力のみで引き裂かれていった。全裸にされた涼子は胸と割れ目を手で隠した。

「やれ」

巨漢の男の指示が下り、容姿に優れた男達四人が涼子の四肢を掴んで引っ張り出した。マットに仰向けになる涼子。余った一人の男が服を脱ぎ出した。涼子は待ち受ける行為に怯え、悲痛な叫びをあげた。

「黙ってろ」

巨漢の男が涼子の額を掴んで、マットに後頭部を強く打ち付ける。男達は手足を無理やり伸ばし、涼子はマットに大の字にされた。前方の男は服を脱ぎ終え、全裸に帰した。涼子の哀れもない姿に興奮し、股間のものが固くなっている。

「ひっ、うぐー」

巨漢の男に口を塞がれてもなお、涼子の声が大きく洩れた。巨漢の男はその場を離れていった。壁際の陳列棚に置かれてあるSM道具を物色する。その間に、涼子は耳をつんざく悲鳴をあげるだけあげていた。男の固いものが涼子の性器を鈍く貫いた。

「ひぐっ、あっ、ああああああ」

体を跳ね起こし、涼子は内臓を吐きそうなぐらい口を開けて悲鳴をあげた。四肢を掴む男達は、余った手で涼子の腹を押さえつけた。前方の男は腰を振る。両足を掴む男達が涼子の膝を折り曲げ、男が突き易いよう協力を怠らなかった。

前方の男は涼子のすぼんだ尻を両手で挟み、腰を滑らす。男の股間と涼子の陰毛が激しく触れた。

「あああああ、いや、いや、いやああああああ」

痛みと屈辱に顔を忙しなく左右に振って、抵抗の意志を示す涼子の頬を、硬質な冷たいものが触れた。巨漢の男が戻ってきていた。陳列棚から持ってきたのは玉付きさるぐつわだった。ベルト型の形状で、中心には口を塞ぐボールが付いている。

巨漢の男はベルト型になっているそれを涼子の顔を起こして巻きつけた。涼子の唇に丸いボールが触れ、顎を引っ張り口を開けさせ、ボールを口内へと深く押し込めた。涼子は舌で押し返そうとするが無駄な抵抗だった。きつく巻かれたベルトは涼子の顔を締め付け、ボールは微動だにしなかった。こういうときのために用いる道具だからだろう。

「ううっ、ううっ」

微かに洩れる涼子の声は、巨漢の男に顔を殴られ、次第に小さくなっていった。前方の男が子宮に向けて精子を放出した。

涼子の手足がぴくぴく痙攣する。続いて、足を抑えていた男が入れ替わり、精子が溢れる涼子の性器に固いものをぶち込んだ。

「ぎっ、ぐうううう」

涼子が呻いた。巨漢の男は背後から涼子の頭を浮かして、見知らぬ男に貫かれる様を拝めさせていた。涼子の瞳に言い知れぬ憎悪が渦巻いた。黒焦げた顔に点在する左右の白目から涙が零れ、涼子は腰を際限なく振られる残酷な光景を傍観し続ける。自分の身に降りかかる残酷な状況が全て架空であると錯覚していた。そう信じたかった。

前方の男は精子を注ぎ込んだ。二人分の精子を収め切れず、涼子の割れ目から白濁汁が滴り落ちた。

「次は、お前の番だぞ」

今度は、手を掴んでいた男の一人と入れ替わった。時計回りに交代しているらしかった。男は同様に服を脱ぎ、涼子の性器に固いものを抉りながら突っ込む。跳ねそうになる涼子の体はがっしりと男達に取り押さえられていた。精子を放出し、また入れ替わった。

「俺は体位を変えたい、後向きにさせてくれ」

次なる男の強い要望に、男達は不気味に笑った。涼子の体を抱き起こし、体を反転させてうつ伏せにさせる。涼子は意識を失っているのか、反応を辞さない。それでも男達は涼子の尻を上向きにさせた。熟れた筈の尻は、先程より遥かに萎んでいた。

「うっ、きついな」

前方の男は鋭角に固いものを涼子の性器に突っ込んだ。涼子は顔をマットに押し付けて動かなかった。

パシパシという無機質な音だけが室内に、無常に、長く響き渡った。

 

「どうですか加村さーん。涼子さんがこんな酷い目に合ってますよお。しかも加村さんより、容姿の優れた男性ですよお」

加村の前に坐る男は、画面を凝視する加村の恐怖を煽るように言った。加村は黙って映像に魅入っていた。

男は加村の傍まで寄り、耳打ちするように同様の台詞を言った。加村は何も応えなかった。

「加村さん、どうしたんですかあ。絶望のあまり、声も出せませんか」

男はケラケラ笑っていた。加村は男を一瞥して、元の格好に戻った。興味がないようだ。加村の目に映っているのはレイプビデオであり、女優が涼子だという概念は持ち合わせていなかったのかもしれない。

純粋に映像を堪能している加村に、男は焦りと不安を覚えた。

「どうやら今ひとつ信じていないようですね。では、あれをご覧下さい。鈍感な加村さんでも理解できると思いますよ」

加村は無視したので、男はブランドの美女に合図を送った。女の一人が胸に双眼鏡を挟み、加村に近づいてくる。加村は顔を上げ、頬を紅潮させた。

「これで、あれを、ご覧下さい」

女に双眼鏡を手渡され、加村は深く頷いた。男は溜息をついて、セピアの中央を指差した。

「なにがあるんだ」

加村が言った。関心はなさそうだった。

「見れば分かりますよ。早く見てください」

男に急き立てられ、加村は渋々接眼部に目を宛てた。ふと蠢く何かに気付き、双眼鏡を下ろして間近を眺める。プール内にいる二百近い人間が全身の肌を真っ黒に染めて、意味不明な言葉を発していた。脳が溶けて気が狂った、亡者の叫びがごうごうと聞こえてくる。

加村は男にあれは何だと尋ねた。

「そのうち分かりますよ。まずは、セピアの中央をご覧になってください」

男は瞳孔を開いて、歯を剥き出しにして笑った。加村は首の裏を掻いて接眼部に目を宛てる。

「やれやれ」

加村は疲れたように息を吐いた。

 

半径二百五十メートルのセピアの中央は、水深百メートルになっておりまして、不用意に中央まで泳がれる方はまずいません。特別なときのみ、セピア最大のアトラクションを体験したい人だけが中央まで泳いでこられます、それと加村さんには申し上げませんでしたが、当セピアにはライフガードといった人命救助専門の方は待機させておりません。その代わり、見送り人と称されるアトラクションのスタッフを待機させております。見えますか、厚手の潜水服を装着して、セピアの中心を取り囲むように立ち泳ぎしてるのが彼らです。おっと、お客様が参られましたね。ここからが本番ですよ。よくご覧になって下さいね。

「はいはい、分かりましたよ」

男の言う通り、双眼鏡の丸い視野に確かに映っていた。全身真っ黒の少年と母親がクロールをして中央に泳いできている。後に続くように、若いカップルが泳いできていた。更に、プールに飛び込み、不特定多数の人間が中央に泳いできている。少年も少女も老人も、老若男女関係なく中央に向かっている。まるでアリの群れだな。加村は思った。

「何が始まるんだ」

「見てりゃ分かりますよ」

加村はセピアに巻き起り始めた奇妙な光景より、男の馴れ馴れしい態度が気に障った。

セピアの中央にいた見送り人は少年と母親を優しく迎え入れていた。中心に行くように身振り手振りで教えている。実際は喋っているのかもしれない。

少年と母親は見送り人に一頻りお辞儀して、中心に泳いでいった。見送り人が手を振っている。少年と母親も手を振っている。見送り人の背後には、順番待ちの大勢の客が群がっていた。

「あいつらは何をしてるんだ」

「だから、見てりゃ分かりますよ」

男が逆上する姿に加村はほくそ笑んだ。いい気味だ。

加村が目を逸らしている隙に、少年と母親が中心から消えていた。双眼鏡を左右に動かして探してみる。やはりいなかった。

中心に戻すと、次の客が導かれて中心に泳いでいった。お辞儀をして、愛想よく手を振る。見送り人も手を振り返す。足がもつれたのか、意識してやっているのだろうか、中心にいた客は身をセピアの中に沈めていった。時間が経っても水に浮かび上がることなく、水面に気泡を残して帰ってこなかった。そして次の客が中心に迎えられ、同様の仕草を取って、手を振りながら身を沈めていった。

「理解できましたか加村さん」

「いいや、分からないね。プールの底には何があるんだ」

男は天を仰いで、加村の眼前に顔を近づけた。

「それを説明するには、セピアの全てをお話しなくてはなりません。陰惨で残酷な表現も含まれるかと思いますが、それでもよろしいでしょうかあ」

男は皮肉に笑って顔を離した。加村の瞳に挑戦的な決意が渦巻きだした。

「いってみろよ」

加村は額に皺を寄せて、冷たく言った。

「はい、かしこまりました」

加村の反応に男は唇を歪ませ、説明を始めた。

 

御察しのことかと思われますが、セピアの水は特殊でして、濡れるとたちまち肌が赤く変色してしまいます。男性なら十分、女性なら五分も浸かれば全身炭のように真っ黒になるでしょう。色が変わるだけならまだいいのですが、実際はそれだけじゃありません。脳を支配し、臓器や体型を縮小するような破滅的な信号が全身に送られます。痩せ細ったり、記憶が風化したり、そうですね。簡単に言えば気が狂って死にたくなります。もちろん、自殺のことですよ。それぐらい分かりますよね。

「素晴らしい効能だな」

加村は怒りめいた拍手を送った。

「でしょお。先程申し上げた通り、男性なら十分、女性なら五分以内に水から上がれば助かるんですけどね。体は黒くなりますが、一週間もすれば元に戻るでしょう。つまり、加村さんと涼子さんは助かることになります。これ以上、水に浸からなければの、話ですけどね」

男は意味ありげに微笑んだ。

「ところで加村さん。愛とは儚いものだと思いませんか。築きあげてもすぐに壊れてしまいますよね。そんな経験を数え切れないほど私はしてきた。だから、分かったんですよ。加村さんと涼子さん、あなた達は互いの本性を知らない、上辺だけの愛に浸っている愚か者なんだって。加村さんは涼子さんの容姿を好きになり、涼子さんは加村さんの性格を好きになった。間違ってると思いませんか。人格も容姿も全て受け入れて、初めて愛し合ってると言えるんじゃないんですか。これは愛じゃありませんよねえ。加村さあん」

男は見下すように言った。

「それで、続きは」

加村は平然と受け流した。男は唇を尖らせて続けた。

「だから、私はセピアの建設を考えたんです。偽りの愛に自惚れた男女を対象に誘い、社会的弱者をエキストラに雇って、壮大なゲームをするんです。真実の愛とは何かを分からせてあげるためにね。過去、二十回に渡って開催してきましたが、私の予想通りでしたよ。偽りの愛だった、所詮、本当に愛し合うカップルはいませんでしたよ。男は女を見捨てて、助かりたいと命乞いをしてくるんです。私は彼らを生かす代わりに見送り人として雇いました。見捨てられた女性は残念ながら殺しました。助けたいと言えば、女性の命は保障すると忠告したんですけどね。助けると言えば、男性に死んでもらうことになりますが。しかしまあ、こんな酔狂に興じられるのも莫大な資産があるからこそですよ。知ってますか。金があれば殺人許可証だって買えるんですよ。そして悪魔の水を作り出すこともね」

男はけたたましく笑って、ノートパソコンの画面を加村に見せた。

「ほら、ご覧下さい。あなたの愛する涼子さんが水に浸されてますよ。もちろん、ただの水じゃありません。セピアの水です。何分経ったかなあ、五分も浸かれば、取り返しがつきませんよ。どうします、加村さん。今なら、助けてあげれるかもしれませんよお」

強姦を受けていた全裸の女は、バスタブの中に沈められていた。意識がないのか、動かない。ぷかぷかと浮かび、周りを取り囲む男五人が、掻き混ぜ棒のような長い棒で、女の体を沈めていた。三十秒ほどで、息継ぎをさせ、また棒で押して水中に沈めた。

目を覆いたくなる残酷な光景だった。加村は静かに見つめていた。

「おい、もう死んでるんじゃないか」

加村は眉一つ動かさずに訊いた。

「心配なさらずに、ちゃんと生きてますよ。加村さんに助ける意志がなければ、涼子さんにはセピアの一部になってもらいますけどね。そうそう、先程の加村さんの質問、プールの底には何があるのか。それこそがセピアの水を作る元なんですよ。プールの底に沈んだ人間の死体は、作業員がプレス機で細かく潰していくんです。残った骨と肉は、巨大な容器に入れられ、外部に漏れないよう密封します。悪臭が漂うので、臭い消しも大量に含まれてますよ。すなわち色褪せた人間の汁、絶望した人間の汁をダシに使ってるんですよ。それがセピアの悪魔の水の正体です。さあ、どうします。容姿が崩れ、自我の崩壊した涼子さんを助けますか。助けませんか。早く決めないと五分経っちゃいますよ」

加村は動じることなく、男に言った。

「助けもしないし、見捨てもしないよ。あなたの言い方からすると、どっちを選んでも片方は殺されるんだろ。明らかに、不当なゲームじゃないか。あんたはただ、愛し合うカップルに嫉妬してるだけだ。自分を差し置いて幸せになるのが嫌なだけなんだろ。気に食わないんだろ」

加村の言及に、男は顔を歪めた。

「違いますよ。私はただ真実の愛を知ってもらいたかったんです。嫉妬なんかじゃありません」

男は目を背けて応えた。加村は微笑んで続けた。

「いいよ、別にあなたを責める気はしないから。可哀想な人なんだろ。分かるよ。だから、もうやめなって。こんなことしたって、女に愛して貰えるわけじゃないだろ」

「うるさい、あんたなんかに私の何が分かるって言うんですか。金を継ぎこんでも祥子は死んでしまったんですよ。愛はあったのに、二人は愛し合っていたのに、引き裂かれたんですよ。私の気持ちがあんたなんかに分かるわけがない。殺してやる。涼子さんを殺して、あんたを私と同じ目に遭わせてやるよ」

男は目に涙を湛えていた。加村は複雑な表情をして言った。

「そうかい、分かったよ。ただし、涼子だけを殺すのはやめてくれ。わたしも一緒に涼子と死なせて欲しいんだ。あなたの言う通り、醜くなった涼子を以前のように愛せないかもしれない。けど、涼子がいないと生きていけないんだ。それは好きだからだ。あなたにも気持ち分かるだろ。だから、頼む。涼子と一緒に死なせてくれ。わたしはあなたみたいに、復讐しようとも思えないし、見送り人になって、孤独に生きる気もしないよ」

加村の顔は淋しさで翳っていた。目から涙が零れていた。涼子を失う恐怖と死の恐怖で全身が震えていた。

「さあ、早く涼子を連れてきてくれ。セピアの中心で、二人で死んでやるよ。いいだろ」

加村の並々ならぬ決意を秘めた瞳に押され、男は静かに頷いた。

セピアに招かれた人々は、加村と涼子を除いて全員自殺してしまった。セピアの中心に、身を沈めて。

 

加村佑介はセピアの中心で涼子と再会した。

水中には円形の鉄の足場が設置され、見送り人に囲まれ、加村と涼子は足場の真ん中に立っていた。

涼子は全身真っ黒に染まり、骨がくっきり浮き出て肉がほとんど無かった。生きてるのが不思議なぐらいだ。微かに呼吸はしている。胸に手を当てると心臓が動いているのが分かる。加村は涼子を抱き締めて嗚咽した。

「涼子、俺だ、佑介だ。聞こえるか、返事しろよ」

加村の呼び掛けに涼子は奇声で応えた。完全に精神が崩壊し、涼子に加村の記憶はなかった。間抜けな声を出して、加村に微笑む。

「笑った、笑ったぞ。涼子が笑ったぞ、おい。きっと俺を覚えてるんだ」

「覚えちゃいませんよ。気が狂ってるからヘラヘラ笑ってるだけです。それより加村さん、足に錘を付けてください。涼子さんの足にもね。水面に浮かび上がってしまいますから」

支配人の男は、見送り人に混ざって厚手の潜水服に身を包んでいた。防水対策だろう。数人の見送り人が加村に錘というより、鉄球を四つ手渡した。鎖で繋がれた枷は開かれ、加村は両足に枷をはめた。同様に涼子の足にも枷をつける。

「アニメか漫画で見た、死刑囚みたいだな。まさか、自分がこんなことになるとはな」

足に繋がれた鉄球を見下ろし、加村は自嘲気味に笑った。

「加村さん、始めていいですか。最後に何か言いたいことがあれば、聞いてあげてもよろしいですけど」

男は淡々と告げた。加村は笑みを零して、男に言った。

「あんた、もしかして泣いてないか。俺が死んだら淋しいか。唯一の理解者を失うんだもんな。そりゃ淋しいか」

「バカなことを。あんたは色褪せなかった。希望を持って、満足して死ぬんだ。私の望み通りにならなかったんだ。そんな人が死んで悲しいわけないじゃないですか」

「はは、やっと素直になったな。狂ってるよあんた」

言葉とは裏腹に、男の目には涙が溢れていた。加村を失う淋しさから込み上げてくるのだろう。

男は目の辺りを押さえ、手を上に掲げた。足場の真ん中がゆっくり下に降りていく。加村と涼子は首までセピアの水に浸かった。

「色褪せてないわけないだろ。涼子を見るも無惨な姿に変えられた。怒ってんだぞ。これから二人ともあんたに殺される。すげえ怖いんだぞ。あんたは人の気持ちが分からないんだ。俺がどんだけ苦しんでいるか、俺がどんだけ涼子を愛していたか。あんたには分からない。分からないんだよ。あんたには、一生分かりっこないよ……」

加村と涼子は頭の先まで水に浸かった。苦しみ悶えてるのか、気泡が水面に激しく浮かんでくる。男は水に顔を突っ込み、涼子を抱き締めて降りていく二人を見送った。加村と涼子は白目を剥いて、死んでいた。二人はゆっくり下まで降りていった。

やがてプレス機で体を潰され、肉と骨を容器に詰められ、セピアの悪魔の水を作る元となった。

「加村さん、私は、どうすればいいんですか。どうすれば、救われるんですか。加村さん、応えてください。加村さん」

誰もいなくなったセピアの真ん中で、男はいつまでも嗚咽していた。

 

男は己の所業を悔い改め、自分なりの結論を導き出した。それはセピアの取り壊しだった。

設計に数年の歳月をかけ、莫大な資産を投じて造り上げたセピアが、重機によっていとも簡単に破壊されていった。男はセピアの最期を見届けていた。

「加村さん、涼子さん。そして、他の全ての人たちよ。私のために、死んでくれてありがとう。お陰で気分が晴れました。これからは、遊園地で遊ぶとします」

男は愉悦に顔を歪ませていた。『セピア』の跡地に置かれた建設予定の看板には、レジャーランド『ブラック』の建設が新たに予定されていた。

 

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