題名:純愛パラドックス

 

送られてくる監視カメラのビジョン。

飛ばされた電波は小型の受信機で視覚情報に変換され、窓際にある二十六インチのテレビモニターに出力される。

克明に映し出されるのは五十メートル先の公園にあるベンチ、暗闇の部屋の中で僕は、息を荒げて様子を伺う。

カップルがキスをしている。貪欲に舌を絡ませている。それだけなのに、息が荒れる。体の奥底から湧き出る、興奮に支配される。

僕は息を飲んで、それを拒む。

まだだ、まだ早い。

キスしてるだけだ。落ち着け、僕。

胸の猛りを堪えて、ベッドに無造作に置かれたリモコンに手を伸ばす。四畳の部屋ならそれも容易い。

部屋には時計回りに、ベッド、本棚、テレビが立ち並び、テレビはボックス型の収納台の上に乗せられ、中には受信機とゲーム機といった電化製品が納められている。

左側面の壁には柱時計がある。僕はベッドの傍らで正座をしている。リモコン操作中のため、やや前のめりだ。

足元に待機させたティッシュ箱を尻目にズームを押す。ベンチで抱き合うカップルは拡大されていく。

ベンチを取り囲むように設置された、三台の超高感度カメラからの映像は、夜になった今でも細部まで見渡せる光度を保っている。

更に、正面からの視点、背後からの視点、左斜めからの視点をボタン一つで自由に切り替えられる。四方を押さえたい所だが資金不足のため、現在は三台に留まっている。

正面からの映像、背凭れのついた木製のベンチで抱き合っていたのは、年の離れたカップルだった。

男は頭頂まで禿げ上がった冴えない中年、女は膝元まで伸びた白のコートを羽織った、色の判別が難しい派手な髪の少女だった。

二人はカメラに気づく様子もなく、濃厚な口づけを交わしていた。それを僕がじっと監視している。

公園と凡そ何の関わりもない僕が、大好きな彼女を取るために仕掛けたカメラを悪用している。

『犯罪だぞ、いいのか』そんな良心の囁きが何度も頭を過ぎる。首を振って何度も打ち消す。

ちょっとぐらい、見てもいいだろ。男の子は自慰をしないと自我を保てない弱い生き物なんだ。いつか僕が彼女と二人でこのベンチで愛し合えば、劣化せぬよう、DVDか何かにデータを移して、毎晩それを見て自慰をする。その時までは、その時ぐらいまでは、悪用したって、構わないだろ。

僕には、愛がある。やましい気持ちは、存在しない。純粋な愛があれば、覗いたって構わない。だろ。

本気で、そう思ってるのか。それとも、僕は罪悪感を感じて。いいや、気にするな、覗け。もっと、捉えろカメラちゃん。

僕は中腰になって、テレビの横っ腹を掴んで食い入るように見下げた。動きのない単調なキス模様が瞳の中に収まる。

「あはは、それでね、都村さんがねえ」

何だ、声が漏れている。スピーカーから発せられた音ではない。暗闇の部屋を襖一枚で隔てた、居間の方からだ。

「そうなのよお。でさあ、都村さんなんて言ったと思う」

都村さん、四百三十二号室の母の友人か。僕はテレビの電源を消して、襖に耳を宛がう。

空気の振動波が伝わってくる。母、弟、父の会話が入り混じった、喧噪に等しい雑談が聞こえてくる。

襖の僅かな隙間から光の筋が伸びている。向こうの明るい世界には、食事を取る家族団欒の姿でもあるのか。

ふと、柱時計を確認する。短針は八時、長針は三十分を刻んでいる。夕食にしては、少し遅いな。

気になる、なぜ遅い。普段なら七時に夕食を取る。父は公務員で定時には帰ってくる。

弟は帰宅部のくせに、一切寄り道しない。友達がいないと嘆いてた。母はいつも家にいる。時間に遅れる要素は何一つない。

僕は夜中にこっそり食事を頂くから、三人での夕食は習慣になっている。会話の絶えない程、仲の良い家庭ではないので、食事時以外で集まるのは考えにくい。

隠れて、こそこそ、僕に内緒で、何やってんだよ。畜生、覗いてやる。

僕は絨毯の隅に手を着き、首を横に倒して、隙間から目だけ覗かせた。

光線が目に刺さってくる。数度瞬きして目を慣らす。居間に見えたのは、予期した通りの、家族団欒の姿だった。

円卓テーブルを囲んだ、母、父、弟の普遍的なメンバーは、中央の大皿に盛られた青椒肉絲を箸で突付いている。

それ以外は何もない。御飯だの、味噌汁だの、備え付けは何もない。おやつなのか。

「おい、母さん」

襖の奥から声を掛ける。当然、居間から僕の動きは見えてない。

母は視線を父と弟に交互に配り、漸く覗いた僕の一部を認めた。

「なんだいタツ、あんたもチンジャオロース食べんのかい」

おばさん臭い口調で、吐き捨てるように返された。

僕は睨みを利かせ、顔全体が覗けるぐらいまで襖を開けた。

「なんでそんなもん食べてんだよ。おやつの時間なのか。珍しいよね、食事以外で家族が集まるなんて」

僕の問いに動揺したのか、母は視線を弟に向けた。口パクで何かを伝えたように見えた。

弟は頷き、僕の前、すなわち襖の前に立ち塞がった。光の筋が消え、代わりに人影に覆われた。そして閉められた。

「あっ、おい、なにすんだよ」

僕は素早く立ち上がって襖を開けようとした。しかし居間からも同等の力を込められて開かない。

弟が押し返しているんだろう。襖はガタガタと小刻みに揺れていた。居間からは忙しない足音が聞こえる。

何かを隠しているのか、僕は顔を真っ赤にし、足を伸ばして踏ん張る。向こう側から更に強い力が返ってきた。

弟だけじゃない、恐らく父も加勢したのだ。足音だけは途切れない、隠蔽工作を行っているに違いない。

疑惑が確信へと変わり、僕は手を離した。気づかないようで、向こうの二人はまだ閉め返している。襖だけが仄かに揺れている。

「大丈夫だよ。隠し事の一つや二つ誰にだってある。僕だってそうだ。無理に追求したりしないよ。だから、開けてくれ。いいだろ」

和やかに叫ぶと、襖の揺れがピタリと止まった。足音だけはまだ聞こえていたが、暫くするとそれも止まった。

開けてもいいのだろうか。疑問が生じるほど、静寂に包まれて、妙に躊躇う。遠慮する謂れはないのだが。

「タツ、開けてもいいわよお」

母の甘ったるい声が聞こえてきた。機嫌が良い時のみ聞かされる、懐かしい調子だった。

僕の胸は躍った。おかしな期待感に駆られ、大胆にも最後まできっちり襖を開けてやった。

明るい世界であるはずだった居間は、深刻な面持ちをした家族の姿で曇っていた。視線は一様に隅に置かれたテレビに向けられていた。

僕も釣られるようにテレビを見据えた。モニターに映し出されているのは、バラエティ番組や、ニュース番組等ではなかった。

波打つ画面に映っていたのは、僕の部屋だった。

半分光に照らされた薄暗い部屋だ。主にテレビ周辺が拡大されている。ティッシュ箱の存在も下方に認められた。

僕は声が出せなかった。僕は家族に覗かれていた。僕が公園を覗いていたように。信じ難い事実に、困惑していた。

「ごめんね、タツ。でも、悪気はなかったのよ。最近、タツが塞ぎ込んで、部屋に篭りっきりだったから心配になったの。それだけなのよ」

母が捲くし立てるように弁明している。必死さが胸に伝わってくる。心配だったから、そうなのか。

僕は開きそうになった口を閉じた。腕は助けを求めるかのように前に伸びている。或いは、真実を求めていたのかもしれない。

「タツ」

父は威厳を抱えた低い声で僕を呼んだ。僕は数歩後じさりした。

むくっと気だるそうに立ち上がり、僕の方に向き直って顔を寄せてきた。

父の厚い眼鏡の奥には、今にも零れ出しそうな、新しい涙を湛えた瞳があった。

「タツ、ごめんな。皆心配だったんだ。父さんも、母さんも、雄図も。タツを愛している余り、つい、こんなことを」

頬を伝って涙が落ちた。父は詫びるように僕に頭を下げていた。僕を愛しているから、覗いた。

不思議と納得させられた。愛しているから、愛しているから、何て耳障りの良い、心地よい言葉だ。

そうだ、僕だって、愛を携えていたから平然と覗きを行えた。家族も僕を愛するが故に、行き過ぎた過ちを犯してしまった。

しかしそこには不浄の愛がある。僕に愛を注いでいる。邪な気持ちは存在しない、純粋なる愛だ。

「気にしないで。僕は何も怒っていないよ。だって、こんなに愛されているんだから」

僕は目を細めて、諭すように告げた。家族の顔に笑顔が返ってきた。

安堵とも希望とも言える、明るい笑顔だった。僕が暫く見なかった光景、一人、部屋に閉じこもっていたばかりに、逃していた至上の幸福。

僕は漸く己の愚かさを悔いた。覗きに、愛がある。それは渇望であって、自慰のためのいい訳に過ぎない。

大好きな彼女との思い出を記録として残したい。違う。思い出は心のフィルムに納めて置く物だ。形に変える物ではない。

ここに溢れる、家族の愛こそ真実の愛だ。僕を思い、健気に心配してくれた、家族達の温かい愛こそ永久の愛なのだ。

全てを悟った僕は、公園の監視を止める決意を固めた。それどころか、警察に自主しに行こうとも考えた。

大丈夫、僕には家族の愛がある。数年経って、冷たい牢屋から帰還して来た時には、愛の器で受け止めてくれっ。

「あははははは、バカ、バカじゃないの。あははははははは」

心の叫びが途切れた。寿命が尽きたかのように、家族全員の動きも止まった。声はテレビから聞こえてきた。

映っていたのは、居間だった。円卓テーブルを囲んだ家族が僕の部屋を覗いている場面だ。笑いながら、見ている。

隅に小さく映し出された僕は、己の肉棒を必死に擦っていた。更に縮小されたテレビ画面には、男女の営みが映えていた。

それを家族が見て、爆笑している。今は笑っていない。いや、笑えないのか。口をポカンと開けて固まっている。

当然僕も動けない。どう反応していいのか分からない。無性に叫びたい衝動に駆られる。ぐっと堪えている。

「あはははは、あははははははははは」

額に脂汗が滲んでいる。愛とは、何だ。こうも容易く、儚く散るものなのか。

家族はその場しのぎに、嘘詭弁を並べて僕を騙したのか。そう解釈していいんだな。

つまり、僕を愛しているだのという戯言、あれもなかったことになるわけだな。随分、早い前言撤回だったな。

怒りを通り越して、胸が軋んでくる。心の歪、内と外でずれて、ギュッと締め付けられている。

やっと、僕は辿り着けた。真実の愛など存在しない。あるのは、混沌に塗れた不条理な偽りの愛だけだ。

そうだった、僕自信も最初からそう思っていたのだ。覗きたい、それだけだ。欲望だ。事実だ。

大好きな彼女、違う。犯したい彼女だ。彼女の服を引ん剥いて、ぶち込んでやりたい。そう思っただけだ。

僕は歪んではいない。愛など存在しない。これが真実だ。

僕の心は真実、何処まで行っても真実だ。嘘じゃない。これが真実なんだ。

「あははははは、あはははははは」

僕は高らかに笑った。手は肉棒をしごいていた。気分が良い。家族好みの愛を提供してやる。

家族が求めるのは、黙々と自慰をこなす、惨めな僕の姿だ。思う存分見せてやるさ。

想像力のみで射精してやる。なあに、僕ほどの手誰になれば簡単だ。

さあ、よく目に焼き付けておけ。これがあんた達の大好きな僕の射精姿だ。

「タツ、やめなさい」

母の抑止の言葉に構わず、僕はあらんばかりの精子を放出した。

飛んだ精子は、テーブルに降りかかった。上にはビデオテープが二十本近く積まれてあった。

足音はビデオテープを引っ張り出していたのか。僕を捉えた、盗撮情報の数々が詰め込まれているのだろう。

僕が呼びかける前から探し廻っていた。何も言わなくても、最初から見せる気満々だったんだな。

「あはははは、あははははははは」

家族が一斉に笑い出した。今、ここで笑い出した。

僕は泣いているのか、笑っているのか、分からなかった。

家族は僕の悲劇に笑っている。狂ったように腹を抱えている。

愛なんて、ないんだ。それが真実。

存在しない愛を求めた、僕が愚かだった。

 

愛がない世界に生れ落ちた僕は運がなかった。残念だ。

後に書いた遺書には、家族全員に『愛を下さい』と一言だけ書き残しておいた。

存在しない愛を求めて、僕は一足先に宙を彷徨う。

不変的な、純粋な愛を求めて、僕は漂う。

「あはははは、あはははははは」

 

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