題名:負け犬ロック

 

前日の午後、ファミリーレストランに赴き、面接を受けた。

自宅から歩いて行ける距離で、交通費はかからない。一発合格した。

勤務時間の融通が利いた。土日の週二日、午後九時から深夜二時までのシフトを組んで貰った。

千佳は人見知りで、シャイな性格。友達も少なく、バイト未経験だった。

両親には打ち明けなかった。過保護な人達だから、言えば反対されるのが目に見えていたからだ。

出勤時間が迫り、千佳は黙ってバイトに向かおうとした。だが呼び止められ、仕方なしにバイトする事を告げる。

そしたら、大騒ぎになった。

「え、ええええ、う、うそょ〜ん。ち、ちちちち、千佳、千佳がーん」

心配性の母は奇声を発した。バイトに向かおうとする千佳の肩を掴んで離さない。

「大丈夫だよお母さん。わたし頑張る、頑張って社会の役に立ってくるね」

千佳は腕を引っ張り、前のめりになった母の腹部に膝を入れる。母が崩れ落ちた。

「お、おい。母さん動かなくなったぞ。そ、それはまあいいとして、本当に大丈夫か? 何なら、父さんも一緒にいってやろうか?」

一人娘を溺愛する父。さり気なく、千佳を行かせまいと太い腕の中に抱き寄せる。

「い、いた。ヒゲが痛い。心配しないで、一人でも大丈夫だよ」

千佳は肘を突き上げみぞおちに入れた。父は大きく腰を曲げ、下がった頭部を冷静に蹴り飛ばす。父が床で大の字になった。

「ふう、それじゃあ行ってくる。ついてきたら、ただじゃおかないからね」

千佳は乱れた服の襟を正し、すぐにバイト先から支給された制服を詰めたリュックを背負った。そそくさと家を出る。

 

田舎であり、夜は人通りの少ない表通り。その一角にバイト先であるファミリーレストランは軒を連ねている。

店の脇には二十台近く車が止まれるスペースがある。カーセックスの溜まり場で、今夜も満車状態だ。

洋風を思わせる、レンガ造りの洒落た建造物の前に着くと、千佳は胸を押さえて息を整える。

「ふっ、ふっ、は〜。よし、やってやる」

千佳は頬を叩いて気を引き締め、レストラン正面の引き戸になっている木製のドアを開けた。

「初めまして。私、望月千佳と言います。右も左も分からない若輩者ですが、今日からよろしくお願いします!」

初めが肝心と意気込んでいた千佳は、店に入って直ぐに大きな声で挨拶した。

「あっ、えっと、よろしくです」

待合ソファに腰掛けていた若い男が一人、動揺しながら挨拶を返す。

席が空くのを待っていたただの客ようだが、千佳はまったく気づいていない。

「は、はい。こ、こちらこそよろしくお願いします。まま、まずは何からすればいいんですか」

緊張で声が裏返る。人を目の前にすると、持ち前の引っ込み思案が自然と出た。

若い男は腕を組んで、対処法を考えていた。

「えっと、じゃ、じゃあ、早いとこ僕を席に案内してくれませんかね。もう三十分も待ってるんですよ」

「あっ、はいい。す、すぐに御案内致します」

極度の緊張で訳も分からず、千佳は男を客席に案内しようとした。

店内にはボックス席が三十以上設置されている。千佳はフロアから席を見渡すが、空席が見当たらない。

千佳は焦り、オロオロと何処へ行くにでもなしに、客席の間を縫うように男を連れて歩き続けた。

「ちょっと、何やってのよあなた」

前から、鼻を突くような香ばしい匂いがする、若い女性が現れた。

深緑のワンピースに、下半身には丈二十八センチほどのマイクロミニを穿いて、目を奪われそうなむっちりとした腿を見せ付けている。

両手にはそれぞれ盆を持ち、盆の上には食べカスがこびり付いた食器を大量に載せられていた。

「あ、あの。こ、こちらのお客様をお席に御案内しようとしてたんです」

「え? なに、あんたうちの従業員なの? 申し訳ございませんお客様。ただいま満席となっておりますので、もう少々お待ちください」

彼女は慌ててお盆を千佳に手渡すと、股間の前で手を交差して、男に丁重にお詫びをする。

千佳はその光景を見て、ようやく男が客である事に気づき、彼女が従業員だというのも飲み込めた。

男は不機嫌そうに早くしてよと訴え、待合ソファの方に戻っていった。千佳は小さくなる男の背中に頭を下げる。

「もう、勝手に御案内しちゃ駄目だろお。んで、あんた。制服に着替えないで何してんだい」

「あっ、あの、ご、ごめんなさい。わたし、今日からバイトの望月千佳と言います」

「なんだ、新入りさん。新しい人が来るなんて聞いてなかったけどなあ。まあいいや、わたしに着いてきな」

「は、はい」

彼女は千佳からお盆を受け取り、先導するように前を歩く。

千佳から見ると、彼女の張りのあるお尻がスカートを押し上げて野卑に揺れているのが分かる。

時には、パンティーの頭がチラリと見え、ボックス席に腰掛けている男供の視線が一点に集まる。

千佳は彼女を隠すようぴったり後ろに着いて歩き、そのまま二人は待合ソファ正面にあるレジを抜けて、突き当たりにある休憩室に入った。

「八木君、こちら新入りさんだよ。今日からよろしくしてやってね」

「あっ、私、望月千佳といいます。どうぞよろしくお願いします」

中は薄暗いコンクリートの壁に囲まれた小さな部屋で、中央には机が悠然と腰を据えていた

机の下に並べられたパイプイスには、ウエイターの八木が一人座っており、敬礼するように千佳の挨拶に答える。

「よろしくね、望月さん。そこに突っ立ってたら危ないよ。こっちにおいで」

八木が千佳を手招く。四方の壁全てにドアが取り付けられていて、ドアが開くと、机擦れ擦れの距離まで伸びてくるからだ。

机から向かって、後がフロアへ出るドア、正面が男性更衣室へ出るドア、右側が女性更衣室へ出るドア、そして左側が厨房に出るドアで、何をするにも何処へ行くにも、休憩室を中継して移動しなければいけないと、八木は簡潔に説明してくれた。

「狭いから机伝いに歩くんだよ。じゃ、わたしが指導してあげるから、あんたは先に更衣室に入って制服に着替えな」

「は、はい」

彼女はお盆を持って厨房の方へと消えていった。千佳は八木におっかなびっくり頭をへこへこ下げ、机を回り込むように女性更衣室のドアを開ける。

部屋の片隅に大きな鏡が一つあり、縦長いロッカーで囲まれ、僅かな細い通路があるだけの更衣室だ。

中には誰もいない、千佳は適当なロッカーを開けて、服を脱いだ。

痩せ細った体、肉付きがなく骨が浮き出ている。千佳はブラを寄せ上げ、リュックから制服を取り出す。

「お待たせ。もう着替えたかな?」

千佳を連れてきた彼女が更衣室に入ってきた。まだ、制服に着替えていない千佳を見て、溜息をつく。

彼女は千佳から制服を奪い取ると、手際よくワンピースの裾をスルスル通して、三つボタンを廻して留めた。

「ご、ごめんなさい。わたし、とろくて」

「謝ってないで、さっさと下穿きな」

彼女はスカートを二、三度はたき、千佳の片足を持ち上げて腰まで通す。

千佳もスカートの裾を掴み、もう片方の足を入れて一気に骨盤にかかるまで引っ張りあげた。

「あっ、短い、こんな短いスカートで人前に出るんですか?と顔を見つめる。

次第に顔がにやけていき、だんだん顔を近づけてくる。」

「はあ? な〜に言ってんだよ、わたしなんか10年もこれ穿いて、働いてんだよ」

実際に履いてみると丈の短さを実感する。千佳の肉付きのない腿が大きく露出されていた。

彼女は千佳の肩をポンと叩き、「まぁ、そのうち慣れるよ」そう重みのある言葉で無理やり納得させた。

「そうそう、紹介が遅れたね。わたしは木村百合、ここでは姉さんて呼ばれてる。新人の指導係だからね」

「は、はい。わたしは望月千佳と言います。年は24歳で、独身です」

「えっ、あはは。あんたの自己紹介は何度も聞いたよ。それより24? そんな風には見えないけどなあ」

百合は千佳の唇を指でなぞり、不思議そうにまじまじと顔を見つめる。

次第に顔がにやけていき、だんだん顔を近づけてくる。

「あ、な、やめてください」

千佳は反射的に手が動き、掌で百合の鼻を押し潰した。

「え、い、いたい」

赤い血液が流れた。

百合は鼻の頭を摘んで上を向き、ポケットティッシュを丸めて両の穴に詰めた。

「ご、ごめんなさい。悪気はなかったんです」

千佳は申し訳なさそうに謝った。しかし百合は無言で、鼻を摘んだまま休憩室へ消えていった。

血の気が引いていく。千佳は休憩室へのドアを少し開け、覗き見た。

「あう、うぐ。ぐぅぅぅぅぅぅ。望月さん怒らせちゃったよー」

「よしよし。望月さん怒ってないって。元気出せよ百合」

人目も憚らず、八木と百合は机の上で抱擁していた。

八木は百合の頭を撫でて、百合は八木の胸部に頭を押し付けて泣いている。

千佳は驚きの余り声が出ず、ドアだけがギイと音を立てて完全に開ききった。

百合は音を察知し首をドアに向ける。千佳を確認すると、憂いな眼で近寄ってきた。

「望月さん。さっきはその、ごめんねえ。百合が悪かったよお。許して、ねっ」

百合は腰を低くして上目遣いに謝る。目には涙をうるわせてまた泣き出しそうだ。

千佳は口を一文字に結び、感慨深げに小さく頷いた。

「あ、ありとがお、望月さん。百合、嬉しい」

更に千佳の背中に腕を回し、細い体をギュッと抱き締める。

抱擁中、バンと更衣室正面のドアが勢い良く開き、見知らぬウエイターやウエイトレスが料理を持って出てきた。

彼等は口々に、熱いねお二人さん、わたしも抱かれたいなあ、休憩時間になったら俺にもしれくてよな百合。二人を冷やかしてはフロアの方へと消えていく。

「さっ、お二人さんもお仕事して頂戴よ」

「そ、そうだね。じゃあ、望月さん。百合と一緒に頑張ろうね」

「は、はい」

百合の声は弱々しかった。千佳は戸惑いながらも頷き、百合と一緒にフロアへ出た。

明るい光が戻ってくる。天井に付けられた無数のカンテラがレストラン全体を橙色に染めていた。

光に照らされ、乾燥若布のように体をくねらせていた百合は、いつもの凛々しい顔に戻っていく。

胸を張って背筋を伸ばし、レジの奥で千佳に指導を行う。

「いいかい、あんたはまだ新入りだから注文は絶対受け取っちゃ駄目だよ。まずはレジ裏でいらっしゃいませ、お客さんがレジを済ませたらありがとうございましたっていうだけでいいよ。もちろん、笑顔ではきはき話すんだぞ。慣れてきたら、他に回ってもらうからさ」

「は、はい。が、頑張ります」

千佳の拳に力が入る。緊張で額から脂汗が流れ、足が震えていた。

レジには百合ともう一人のウエイトレスが居を構えている。時折、千佳の背中を摩ったりして、気を落ち着かせてくれていた。

千佳が深呼吸を繰り返していると、レシートを持った一人の男性客がレジにやって来た。

「一万円からでよろしいですか? 九千六百円のおつりです」

百合が札と小銭にまみれたおつりを返し、レジに居た二人は大きな声でありがとうございましたと客に告げる。

千佳は喉まで声が出かかっているが言葉にならず、肩を揺らして息を吐く。

「ほら、望月さん。早くありがとうございましたって言うのよ」

「は、は。はひい、うっ、うっ、うう。ありがとうございまあ〜す!!」

耳を劈くような馬鹿でかい声だった。しかし男性客は既に店を出ている。

ボックス席に残された、獰猛な男達の視線が一斉に千佳へと集まる。

ある者は睨み、とある者は微笑ましそうに歪な笑いを浮かべている。

千佳はワンピースの胸の辺りをぐっと掴み、大きく息を吸い込む。

「だ、大丈夫よ望月さん。声出てたよ。でも、次からはもっと声のトーンを落として、笑顔で言ってみようね」

「は、ははは。はひい〜」

百合は千佳の背中を摩ってくれるが、千佳は息苦しそうにう〜う〜呻く。

目に赤い亀裂が走り充血する。瞳孔が開き、猛獣のように歯を剥ける。

「だ、だいじょぶ。わ、わたしやれます。次は、ちゃ、ちゃんというからあ」

「う、うん。大丈夫よ望月さん。あっ、でも、出来れば笑顔で言って欲しいかなあなんて」

百合は声のトーンが落ちていた。千佳は歯を剥いたまま口を横に広げて笑う。

獣を思わせる不敵な笑顔に、百合は萎縮されて何も言えなくなった。ドアが開き客が入ってくる。

「い、いいいい、いらっしゃいませ〜〜。わ、わわわ、わたし、望月千佳でございまあ〜すの〜〜!」

「えっ、えっ、えええ〜。お、落ち着くのよ望月さん。望月さ〜ん」

百合は落ち着きなく、千佳の肩を掴んでガクガク揺らす。

来客は足を止めた。受付のウエイトレスが慌てて応対し、客を席に御案内する。

しかし元居た客達は不信感が募り、ひそひそと密談を始めていた。

無機質に跳ねていた千佳は落ち着きを取り戻し、剥いた歯を中に収めた。

「ごめんなさい。わたし、とんでもないことを」

「大丈夫よ望月さん。大丈夫なんだからね」

百合は、また、千佳を胸に抱き寄せた。千佳の目には涙が溜まっていた。

休憩室へ通じる細い通路からは、忙しなくウエイターやウエイトレスが料理を運び、千佳の背中を叩いてはフロアへ抜けていく。

千佳の目から一筋の涙が零れ落ち、百合の肩にポタリと落ちた。

「あ、ありがとうございます。わたし、頑張ります。もう絶対に、取り乱したりしません」

「そうよ。あなたは出来る子なのよ。あなたはやれるの。出来ないことなんて何もないのよ」

百合の肩の布は涙でシミつき、薄い灰色に変色していた。

千佳は指で目の下を拭い、心なしか明るい笑顔になった。

レジでは小太りの男性客が会計を済ませている。

「小太りさん、まいどありがとうございましたー」

千佳は愛くるしい笑顔で男性客を見送った。

百合はギョッとしていたが、男性客は笑顔でレストランを後にする。

千佳は達成感から腕を振り上げ、飛び跳ねて喜ぶ。

「や、やりましたよ。姉さん。わたし、やりましたよ」

「う、うんうん。よく頑張ったね。でも、次からはありがとうざいましただけにしてね」

百合は左頬の筋肉が目の方に引っ張り上げ、顔を引き攣らせていた。

千佳は取り止めもなく硬くなった頬を人差し指で突き、平手で軽く張る。

調子付いて来たようだ、今の千佳に怖い者は存在しないのかもしれない。

「がり勉臭い人、いらっしゃいませ〜」

「便秘治るといいですね、ありがとうございました〜」

容赦なく毒を吐く。すっかり独自の接客スタイルを確立してきた。

客の反応も様々で、笑顔を見せる客もいれば、顔を強張らせる客もいる。しかし今の千佳にはお構いなしだ。

自分の信念を貫け。幼少の頃、耳に穴が開くほど言われ続けてきた父の台詞が都合良く頭を過ぎり、千佳を支配する。

「姉さん。もっと他の仕事やらせてくださいよ。わたし、もう、大丈夫ですから」

遂には自分を見失い、自ら大風呂敷を広げてしまった。

百合は顔を顰めてそっぽを向くが、千佳は百合の肩に顎を乗せ、背中を指でなぞり甘える。

「ねえ、いいでしょお、お姉さん。わたし自信ついてきたから、いいでしょお」

「はぁ、分かった、分かったわ。それじゃあんたは、ブロック三の注文取りに行きなさい。担当の上田さんに指示を仰ぐのよ。いいわね」

百合は背中を震わせ、投げやり気味に指示を出した。その仕草は妙に子供っぽかった。

千佳は口の両端を上げて、無垢に微笑む。二匹の子供は互いに気持ちが通じ合った。

「はい、頑張ります」

一礼して、千佳はブロック三へと向かう。

このレストランは、四つの区画でブロック分けされており、ブロック毎に担当の主任がいる。

ブロック三にはボックス八席に、横長い木製カウンター九席が並び、全席喫煙となっている。

千佳がカウンターの裏手に回ると、端に座った緑の瞳をした金髪の男が物珍しそうに千佳を見つめる。

千佳は会釈して、奥でコーヒーメーカーを弄くっていた男の肩に、拳を縦にした物を振り下ろした。

男は肩を押さえて蹲る。

「あ、あの、上田さんですよね。百合姉さんから、ここで注文を取るように言われた望月千佳です。よろしくお願いします」

「い、いたいよ。もう少し、優しく呼んでよ。そ、そういうことなら、このマニュアル読んで、適当にやっといて」

胸に上田と書かれた記章を付けていた。上田は酷い猫背で、千佳の目線が下に向く程小さな男だ。

上田は白髪が目立つ前髪をかき分け、ボロボロにふやけた本の形をしているマニュアルを千佳に手渡した。

長時間液体に浸されていたであろうマニュアル本、千佳がページを捲ると真ん中で二つに裂けてしまった。

インクは伸びて、字が原型を留めていない。千佳は破れた片割れを斜めに向けて読もうとする。

「ねえ、そこのお嬢さん。コーヒーのおかわりください」

「えっ、あっ、はい。まいどお」

暗号を解読できないまま、端に座った金髪の男が拙い日本語で注文してきた。

千佳は即座に役に立たない紙切れを床に投げ捨て、指を丸めて上田の耳に宛がい、耳打ちする。

「あの、コーヒー、コーヒーの注文が入りましたよ〜」

「えっ、じゃあ、入れてあげてね」

上田は無責任に、コーヒメーカーを千佳の前にスライドさせた。千佳は戸惑った。

生まれて一度もコーヒーを炒れた事がないからだ。しかもマニュアルはボロボロ過ぎて読めない。

取り敢えず黒い液で満たされたポットを引き抜いた。沸騰しているのか、湯気を舞い上げ、ゴボゴボ泡が表面に浮かんでくる。

千佳は胸を撫で下ろし、金髪の男の前にポットを運ぶ。

「あ、あの、カップをお出しください」

「待ってましたあ〜、ありがとさーん」

おかしな日本語だ。金髪の男は得意気にカップを手に持ち、腕を伸ばす。

千佳はポットを両手で持ち、斜めに傾け液体を注ぎ込む。

「お〜い、姉ちゃん、そっち終わったらこっちも頼むわ」

カップに三分の一程満たされた所で、金髪の男の隣に座る、サングラスをかけた紫色のスーツの男がカップを振って千佳を呼んだ。

「じゃあ、俺も、頼みます。早いこと、してね」

更に隣に座っていた、『好きですメイド』とロゴの入ったTシャツを着た男も恥ずかしそうにカップを出す。

「は、はい。もうちょっと待ってて」

千佳は首だけ捻り、タメ口で答えた。男達の顔が曇った。

先程までの威勢は何処かへ消え、千佳の顔から笑みが消えていた。

目を見開き、カップを一点に見つめている。なみなみと注がれる液体の跡を、じっと追う。

見て、追ってる内に、カップから液体が溢れ出た。

「アウチっ」

金髪の男が叫ぶ。指に液体がかかった。

男は熱さに耐え切れず、カップから手を離した。カップはカウンターで跳ねて割れた。

破片が四方八方に散り、カウンターに座っていた男達目掛け飛んでいく。

いたっ、あぎゃ、おい、ふざけんなや姉ちゃん。ぶっ殺したるぞコラあ、何さらすんじゃぼけ。

品のない罵声が口々に飛び交う。金髪の男は指を押さえ悶えている。

「うるさい。緊張する。緊張するんだよ。緊張してんだよ。緊張してんだよお」

千佳は狂ったようにうわ言を繰り返す。手足が震えている。

死んだ魚のような目をして、割れたカップを虚ろに見つめる。手はポットを傾けたままの状態で止まっている。

ポットから零れた液体がカウンターに落ちた。ビチビチと音を立てて、紫色のスーツの男、オタクなシャツを着た男の服に跳ねた。

「あつっ、おい! 何しとんねんコラ」

紫色のスーツの男は手を伸ばして、ポットを奪い取ろうとする。

千佳の目が赤く血走った。殺意が込められた赤い瞳は男を睨み、ポットに触れる手を叩き落として剥がした。

続けざまに、割れたカップの真上に来た男の頭に液体を注ぐ。

「あ、あ、あっちゃああああ!」

床に引っくり返って叫喚した。隣にいる上田は見て見ぬ振りをしている。

グラスを手に取り、側面を何度も布巾で磨いている。瞼を閉じて、現実を直視しようとしない。

紫色のスーツの男は頭を抱え、床で蠢き喚いている。

千佳は男を見下して無邪気に笑い、ポットを反転させて中身を全て男の体にぶち撒けた。

「いぃぃぃぃぃ!!」

なぜか、オタクなシャツを着た男が奇声を発した。紫色のスーツの男は声も出せず、スーツの合い目に手を入れ引き裂こうとしている。

千佳はカウンターに頬杖をつき、男の苦しむ様を傍観していた。

隣にいた上田の姿はもう何処にもなかった。左側面が艶を放つグラスがカウンターにひっそりと佇む。

周囲のボックス、カウンター席に座っていた男達は呆然とし、スーツを引き裂きぐったりしている男の様を眺めていた。

次第にその目は千佳へと向けられる。千佳の目はまだ赤く血走り、手を前方に構えて迎え撃つ体勢を整えた。

「なに? 文句あんのかよ〜? 来るならかかってこいよ。この、インポ野郎」

そして上唇の肉を押し上げ、犬歯を剥き出しにする。

男達はいきり立った。仲間同士で咆哮し合い、士気を高める。

千佳はカウンターに飛び乗り、前屈みになって舌を出した。親指は立てられ、首の前で横に引いて見せる。

男達は激怒し、ナイフやフォークなどの凶器を手に取った。千佳との間合いを詰めていく。


その頃、休憩室では緊急会議が開かれていた。

厨房へ続くドアがひっきりなしに開閉される中、机の片端に、犬を模る帽子を被った男がイスに腰掛けていた。

左側には百合、右側には八木が座っている。机の上には千佳の履歴者や、過去の経歴が記載された資料などが広げられていた。

「で、どうかね。望月君の様子は」

犬の帽子を被った男がスルメイカをしゃぶりながら、傲然と喋った。

百合は千佳の経歴が書かれた紙を持って眼鏡をかけた。八木は欠伸をしながら履歴書を手に取る。

「で、どうなのかね。望月君の様子は」

犬の帽子を被った男が低く唸った。百合と八木は黙って紙面を読む。

ドン、と音が鳴った。犬の帽子を被った男が机を叩いている。

百合は机と水平に目を近づけて耳を塞ぐ。八木は鼻の穴に指を突っ込み、意味もなく履歴書を指でクルクル回していた。

「君達、仮にもわたしは店長だよ。無視して許されるとでも思って」

「凄い経歴だよ八木君。15歳までに三回も少年院に送られてる。3件とも暴力事件だってさ。かなり修羅場潜ってるみたいだね」

「こっちには、特技の欄に、空手五段、柔道四段と書いてあるな。備考に、緊張すると我を忘れる事があるってさ」

百合と八木は固唾を飲み、紙を置く。目線はゆっくりと、スルメイカを咥えた店長へと向けられた。

店長はスルメイカを吹き出し、慌てて散乱した紙の両端を持って、ぴったりと顔に押し当てる。

「な〜にしてんですか店長。どうしてこんな子雇ったんです? うちの主旨に反してますよ」

「反しちゃいないさ。ただ、此れほど狂暴な奴は例を見ないな」

「だってえ、あの子、好みだったんだもん」

思いもよらない言葉に、百合と八木は遠くを見つめ、深い溜息をつく。

店長は片眉を上げて、机に落ちたスルメイカを拾う。先っぽからしゃぶりついた。

「まぁさ、君達の方で何とか教育しといてよ。あの子も皆と同じ、社会的立場の弱い人間なんだしさ」

「随分な言い方ですね。それを言うなら店長だって、負け犬の一人じゃないですか」

「おいおい、今更、その話したって意味ねえよ。どうせここは負け犬レストランって呼ばれてんだしよ」

途端に場が静まり返った。百合は何かを思い出したのか、目をうるわせていた。

感慨に浸る。百合は机に肘を乗せ、掌で目頭を押さえる。八木は片目を擦りながら、千佳の経歴に目を通す。

店長はスルメイカの先っぽを食い千切り、舌で転がし味をたしなめていた。

沈黙は続き、フロアへ抜けるドアが重たく開いた。

「店長、望月さんを連れて来ました」

ウエイターの男と供に、涙で目を真っ赤にした千佳が入ってくる。

右瞼が裂傷している。目の上に鋭利な刃物で切り裂かれた痕がくっきりと残されている。

マイクロミニには血が付着しており、それを隠すように千佳は股間に手を宛がう。

「ごめんなさい、暴れてごめんなさい。わたし、大ぼら吹いたけど、本当は何も出来ないんです」

千佳が目尻を下げると、涙がぶわっと溢れてきた。

鼻を鳴らし、ただ、ただ、目を押さえて痛嘆している。

店長は目を細め、同行したウエイターを見て、首を男性更衣室の方に振った。

八木が席を立ち、ウエイターと挟むように千佳の横に立つ。二人は千佳の背中に手を宛て、男性更衣室へと消えていった。

「何かやらかしたんですかね。やっぱり」

百合が横目で店長を見つめる。健康的な紅い唇が青白くなっていた。

店長は腕を大きく振り上げ、机に目一杯叩き付ける。

更に二、三度、小刻みに打ち鳴らす。そして腕を伸ばして百合の胸倉を掴み、眼前に顔を引き寄せた。

「何かやらかしたんですか、だと? お前が勝手に注文取らせるからこうなったんだろ。新入りには挨拶だけさせるのが決まりだったはずだ。新人の指導係はお前だろ? 責任逃れしてるつもりかこの負け犬が。お前みたいな、親にも見捨てられたカス、誰が拾ってやったと思ってんだ。恩を仇で返すつもりか? ああん?」

犬を模る帽子が大きくはためく。店長の顔が不規則におぞましい形相に変化していた。

百合は情けなく顔を皺くちゃにして、無言で涙を垂れ流した。

全身を震わせ、硬直した手が自然と虚空に伸びていく。

「ご、ごめんなさい」

弱い声がポツリと漏れる。百合は伸ばした手を店長の背中に回し、ひしと抱きついた。

店長は穏やかな顔をして、百合の背中を撫ぜ回す。愛犬を可愛がるようだ。

厨房のドアが開き、ウエイターやウエイトレス達が机の周りに集まってくる。

彼等は一様に涙を流し、二人に惜しみ無い拍手を送った。


細い廊下を進む千佳、涙で前が霞む。

視界に飛び込んでくるのは、ぼやけた長い階段だけだ。

踏み外さぬよう、両隣の二人がしっかり支えてくれている。

ゆっくりと下りていく、更衣室じゃないみたいだ。

急な階段の終わりが見えた。踊り場で方向を変え、やや平坦な階段を下る。

その先に、銀色の扉が見える。右隣の八木が扉のノブを回して開けた。

「駐車場?」

「そ、従業員は皆利用してるよ」

白いコンクリートが使われた円天井。千佳の前に、長く真っ直ぐな道路が続いている。

左右には大きなスペースがあり、様々な車種の車がずらりと並ぶ。

右側を向くと、手前の車の中に若い男女がいる。ウエイターとウエイトレスの格好に扮装してキスをしている。

左側を向くと、手前の車、その奥の車の中に、ウエイターとウエイトレスが抱き合っている姿が見える。

円天井の真ん中には、一定の間隔で蛍光灯が取り付けられている。しかし車までは光が届いていない。

左右の壁には蛍光灯がない。意図して、車内を隠す為に配置されたようだ。

「ここが男性更衣室だよ。従業員は車内で制服に着替えて、今、下りてきた階段で1階に上がるんだ。といっても、女性もここで着替える人の方が多いんだけどね」

八木は淡々と説明しながら、ウエイターと供に千佳の背中を押して、前へと進む。

千佳の足取りは重く、落ち着きなく左右を見渡しては、車内を覗く。

車内では、男女がキスをし、口を大きく開けて男根にしゃぶり付く淫らなウエイトレスの姿が映える。

皆、制服を着ている。だらしなくセックスをしている。

足音が円天井にこだまする。道路の先はまだ見えない。

長く、ひたすら真っ直ぐに歩き、八木は足を止めた。

「ほら、これが俺の車」

左前方のワゴン車を指差した。黒光りして闇に溶けそうなボディーを醸し出している。

八木とウエイターは千佳の腕を強く握り、ドアの前に立つ。

八木はドアを開けると、千佳を助手席の方へ押し込んだ。

「なに、するんですか」

八木は無言で運転席に乗り込み、ドアを閉める。ウエイターは外から車内の様子をじっと眺める。

千佳は怯え、背中がドアに当たるまで後退りした。

八木が服を脱ぐ。いや、裂いている。朧げに舌を出して、上半身の衣を破り捨てる。

「や、八木さん? 聞いてます? 着替えるん、じゃ、ないよね」

八木は助手席の端にあるレバーを引いた。シートが後方に倒れていく。

千佳は横に倒れ、八木が倒れた千佳に馬乗りになり、ワンピースの合い目に手をかける。

「望月さん、改めて自己紹介しよう。俺は八木祐介、新人の慰め係だ」

そのまま手を横に広げ、ワンピースを裂いた。下から脂肪を掻き集めたブラが露となる。

八木がブラを上にずらすと、双乳が勢いよく左右に弾ける。八木は千佳の両手首をしっかり掴む。

「止めて下さい、八木さん。そんなことされたら、わたし」

千佳の目に赤い亀裂が走ってくる。八木は早急に手を離した。

「怒らないで。負け犬の傷を舐めてあげるのが、俺の役割なんだよ」

小声で囁く。シートに手をつき、八木は頭を下げて舌を乳首へと押し当てた。

千佳の体がびくんと跳ねた。顔を赤らめ、膝で八木の背中を痛打する。

体が前に動き、八木はシートに手をついて倒れるのを免れた。

「やめて。俺が怖いのか? それとも、人が怖いのか?」

千佳の目が一段と赤くなる。両手の指先に力をいれ、八木の首に爪を立てる。

「おい、やめてくれ。俺は君の味方だってば」

構わず爪を肉に食い込ませる。爪の先に赤い血が付着する。

八木は顔を歪ませながら、千佳の胸を揉み解す。

爪は引かれた。首から血が垂れ落ち、八木は首を押さえる。

「いたいって。もう、気が晴れたろ。俺とセックスして、嫌な事全部忘れようよ。その方が君の為だって」

八木の目はうるんでいた。毅然とした男が表情を崩し、強引に千佳の唇を奪う。

八木は咽喉に舌を侵入させると、千佳は背中に爪を立て、何度も引っ掻いた。車内に血が飛び散り、肉が削がれる。

「お願いだよ、俺の言う事聞いて。お願い」

八木は泣いていた。涙を平坦な胸に落としていた。

千佳の充血した目が薄れていった。八木の怯えた表情を見てると癒されてくる。

「八木さんって、見た目によらず、泣き虫なんですね」

千佳は体を起こして、八木の首の付け根にキスをした。

「アオッ」

甲高い声をあげる。千佳は八木を胸に抱き寄せ、乳首を甘噛みする。

「アオッ」

また、奇妙な声をあげる。八木は体をのぞけらせ、天井擦れ擦れまで頭を上げる。

千佳は面白くなり、八木の体を指でなぞった。その度に八木は飛び跳ね、奇声を発する。

何処か初々しさを感じる八木に惹かれ、千佳は笑顔で八木の頭を撫でる。

「さぁ、今度はわたしが慰めてあげましょう。嫌な事、悩み事、何でも聞いてあげますよ」

千佳は後部座席に移り、胡坐をかいた。目を瞑り、八木に慈悲の手を差し伸べる。

八木は一瞬迷ったが、その手を掴み、千佳の胸に飛び込んでいった。

「聞いてよ望月さーん。俺、路頭に迷ってたら、たまたまここの店長が拾ってくれたんだよ。でも、俺って不器用だから仕事できなくてあ。慰め係って形で、新入りの女の子の悩みを聞くだけの、能無しのポジションに置かれちまったんだよ。いや、他の皆だって、ろくな奴じゃないんだぜ。適当に働いて、傷付いたら仕事放棄して、セックスして傷を舐め合ってやがんだよ。信じられるか? ここには客も従業もカスしかいないんだぜ。おかげで、負け犬レストランなんて通り名が付いてんだよ」

千佳は納得したようにクスリと笑い、手を八木の股間に伸ばしていく。

八木は恥ずかしそうに股間を押さえる。肉棒に指が触れ、掴んで捏ねていく。

「そうですね。八木さんは負け犬です。向上心が感じられないから」

「アオッ」

八木は悶えた顔で股を閉じた。千佳が指を抜くと白い液が糸を引いていた。出来たシロップを耳に塗りたくり、食べるように噛む。

アオッと吠えたかと思うと、八木は仰向けに倒れ込んだ。

千佳は倒れた八木のズボンの端を掴み、ずり下ろす。白いブリーフを押し上げて、肉棒が反り返っている。

「でも、わたしは、負け犬じゃない」

八木がよがる。千佳はブリーフの谷間から肉棒を引っ張り出し、スカートを腰の辺りにずらしていく。

下から出てきた、ピンク色のパンティーはシミ付いている。千佳は片足を抜き、大きく股を広げて、八木の肉棒の皮を指で捲る。

「入れますよ」

八木は下唇を噛んで小さく頷いた。千佳は肉棒の先端をを秘部に押し当て、指を使って術野を広げる。

クチュと卑猥な音を立て、肉棒の先端がすっぽり千佳の中へと収められていく。千佳の顔が歪む。

千佳の体に力が入り、膣肉が肉棒を押し返そうとする。八木は千佳の膝小僧を掴み、無理やり腰を落とさせた。

「ぐっ、アオッ」

八木は緊張感のない奇声をあげる。千佳は自ら胸を舌で貪り、腰を縦に振った。

八木は同じ調子でアオッと吠え、弱々しく下から肉棒を突き上げる。

ひだを押し分けて、肉棒は根元までズブズブと体内に侵入してきた。

「八木さん、わたしは、今まで何人か男の人と付き合ったことがあるんです」

千佳は腰を上下に振り乱れ、息を吐きながら八木の顔に触れる。

「けど、ヤリ逃げされた。どの人も、わたしを性欲処理の女としか見ないんです。だから、人間不信になって、友達も減って」

八木に余裕はなかった。千佳に尻を何度も叩きつけらる快感を覚え、口から涎を垂らして、虚ろな目をしていた。

千佳は慣れた手付きで、八木の首の後ろに腕を回し、正常位で腰を振る。

「それに、わたし緊張すると狂暴になっちゃうから、気軽に人と接する事出来ない。さっきだって、お客さんとケンカになったんですよ」

八木はぐったりしていた。千佳は構わず腰を振りつつ、八木の唇を奪う。

膣に力を込め、八木の肉棒を根元で咥え込み、強く締め付けて白濁汁を搾取する。

八木の体はびくびく痙攣していた。意識を失い、にやけた顔をして醜態を晒す。

「それでも、わたしは負けてない。だって、前向きに生きようと思ったから、バイトを始めたんですよ」

千佳は体を脱力させる、腰を上げて、白い蜜がべっとり付いた肉棒を膣から抜いた。

パックリ開いた淫靡で黒ずんだ秘部に指を突っ込み、蜜と一緒に八木の精子をかき出した。

その時、外から窓を叩く音が聞こえた。

千佳と同行していたウエイターだ。顔を窓にべったりくっつけ覗いていたようだ。涎がガラスに汚く粘りついている。

千佳は開閉装置を操作して、窓を開ける。

「終わりましたか? そろそろ、仕事に戻って下さい」

千佳は倒れた八木を指差すと、ウエイターの男は叫んで起こそうとした。

だが、八木は幸せそうな顔をして、夢の世界へ行ったまま現実に帰って来なかった。

「仕方ないなあ。じゃあ、望月さんだけ一階に上がってください」

「はい。それで、なんであなたは覗いてるんですか?」

千佳は破れたワンピースを手で繋ぎ合わせ、男を睨み付ける。

男は腰が引けたのか、車に背を向けた。

「すいません。店長から望月さんが暴れないよう見張ってろと言い付けられてたものでして」  

千佳はしかめっ面で、ブラとスカートを元の位置に正した。そしてドア開けて車を降りる。

駐車場の冷たい空気が辺りに渦巻き、千佳は胸を押さえて震えていた。

ウエイターの男が千佳の背中に手を回すと、二人は元来た道を戻っていった。

「替えの制服は直ぐに用意しますんで、ご安心して下さい」

千佳は男と目を合わさなかった。時折、八木の車の方を振り返っては、また歩きだす。

周囲の車からは男女の喘ぎ声が漏れ、円天井の駐車場に好く反響していた。

足音が増えてきた。前から、犬を模る帽子を被った男と、ウエイトレスの女が歩いてきた。

「やあ、望月君じゃないか。八木君は一緒じゃないのかい?」

店長だった。千佳の淫らな姿を見て、鼻腔を膨らませている。

隣いるのは百合だ。百合は顔を赤らめ、店長の肩に頭を乗せていた。

「で、どうかね、青木君。望月君は落ち着いたのかね?」

千佳が怖い顔をしていたので、店長はウエイターの男に質問を投げかけた。

青木と呼ばれたウエイターは、「落ち着きましたよ」と、自分の事かのように答えた。

百合はそれを聞いて、安堵の表情を浮かべる。

「ごめん、望月さん。わたしが注文取りにいけなんて言ったばっかりに。聞いたよ、ケンカしたんだってね」

百合は千佳の前に立ち、頭を下げた。

千佳は顔を横に向け、百合と目を合わさなかった。

「いえ、わたしが悪いんです。お騒がしてすいません」

通らない声。声も張っていない。虫の居所が悪いようだ。

店長は穏やかに笑い、千佳の胸をブラ越しに揉む。

「済んだ事は仕方ないさ。これからも、うちの社員として頑張ってくれたまえ」

店長は高笑いをした。しかし千佳の顔は穏やかではない。目が赤く充血していく。

百合はそれを察したのか、千佳の髪をそっと撫でて慰める。

「望月さん、大丈夫だよ。傷付いたり、悩んだりしたら、皆で望月さんの傷口を舐めてあげるから」

百合は屈託のない笑顔で接するも、むしろ千佳の顔は強張っていった。

鈍い歯軋りを立て、拳を硬く握り締める。

「結構です。わたしは弱い自分を変える為にバイトしてるんですから」

いつもより高く、迫力ある声で強く訴えかけた。

百合と店長は唖然とした。数秒後には、互いに顔を見合わせて口を膨らませる。

笑った。店長は頭を抱えて蹲る。百合は腹を抱えて笑っていた。

「あっはっはっはっは。もう、やめてよお。それって、負け犬の遠吠えじゃないの?」

「やめなさい、木村君。望月君に失礼じゃないか」

壊れた蛇口のように二人は割れんばかりに笑っていた。

頭に血が上り、千佳の顔は赤くなる。瞼の上の傷痕に血がぶり返していた。

自然と、犬歯が剥かれていく。前屈みになり、無意識に舌を伸ばした。

「あはは。そう怖がらずにおいでよワンちゃん。これからも仲良くしましょ」

百合は腕を伸ばし頑なに握手を求めた。千佳も答えるように手を伸ばす。

二人の手が堅く握られると、千佳は百合の手を引いた。待ち構えていた鋭い歯が手の甲にガブリと噛み付いた。

「い、あぁぁ!」

百合は声にならない悲鳴をあげた。

店長が慌てて千佳を引き離そうと百合の背中を引く。千佳は爪を百合の腕に食い込ませて剥がれなかった。

百合が踊る格好で暴れまわった。充血しきった赤い目が百合を捉えて離さなかった。

甲から血が噴き出さなくなると、千佳は赤く色づいた犬歯を抜いた。

「違うよ。わたしはあなた達とは違うの。傷の舐め合いなんてまっぴらごめんです」

口から血肉を吐き捨て、千佳は背を向けた。店とは逆方向の道を歩いていく。

残された二人の男と女は恐怖に戦き、千佳を止めようとはしなかった。

平坦で真っ直ぐな道を千佳は物思いに耽ながら歩き、八木の車の横を通過した。

「待てよ、どこ行くんだよ望月さん」

千佳が振り返ると、全裸の八木の姿がそこにあった。

八木は肉棒を揺らしながら駆けてくる。千佳は唇を結んで全力で走り出した。

「待ってよ望月さん。どこ行くんだよ。俺を置いていかないでよお」

千佳は振り返る事無く一心不乱に走り続けた。八木は途中でこけて見えなくなった。

長い道の終わりが見えてきた。ライトが千佳を照らし、道が二又に分かれた処にたどり着いた。

正面にはエレベーターが設置されていた。千佳は迷わず乗り込んで、一階のボタンを押す。

エレベーターは機械音を鳴らし、すぐに上昇を始めた。千佳は隅っこで目を閉じ、疲れた体を壁に預けていた。

チンと音が鳴り、ドアが重たく開く。千佳が目を開けると、眩い光が射してきた。

「えっ、ここ、ゲームセンターじゃない」

目の前に広がる遊具の数々が煌き、鼓膜を破かんとばかりに轟音を響かせている。

正面には店員らしき男がいて、ギターの形をした玩具を持って千佳を手招ている。

男の横には十八インチ程のモニターがついた縦長い機械があり、ギターの玩具はその機械とコードで連結されていた。

千佳はエレベーターを降り、困惑した表情で男の傍に寄っていった。

「あの、わたしに何か用でしょうか?」

「よくぞ来て下さいました。それでは、ゲームの説明をさせていただきます。ゲームが始まると、曲が流れますので、お客様はギターを弾いてください。勿論、弾くといっても本当に弾くわけじゃありません。モニターに光る矢印が表示され、下に流れてきますので、お客様は画面下にある三色の矢印と光る矢印が一致した処で、ギターの先端に取り付けられた、赤、青、緑のボタンをタイミング良く押してください。ミスする度に画面左端のライフが減っていき全てなくなるとゲームオーバーとなります。一曲弾ききれば当店オリジナルのTシャツを贈呈しますので是非挑戦してみてくださいね!」

「Tシャツ? やります、やらせて下さい」

手で露出された肌を隠すのにも限界があり、千佳は上着を取り替えたかった。

二人の会話が耳に入ったのか、一人用のゲーム台に立ち向かった男達が千佳に気づいた。

腰掛がない、紫色の丸イスから腰をあげて、男達は千佳の周りに続々と集まって来る。

横からはだけたブラをいやらしい目つきで見つめ、背後から露出された腿を撫で回すように愛でた。

千佳はギターを首から提げ、左手の三本指で赤、青、緑、のボタンをいつでも押せるように指を添える。

男達は割れんばかりの拍手を送った。千佳は大観衆に見守られて息を飲む。

店員が機械を操作すると、モニターに、ゲームスタートと表示された。

轟音と供に、光る矢印が画面上から流れてくる。千佳がタイミング良くボタンを押そうとすると、突然画面が切り替わった。

千佳は目を丸くした。真っ暗な画面の中にレストランの従業員達の姿が映し出された。

「やあ、望月君。ろくに仕事もせず、暴れるだけ暴れといて、ゲームできるとでも思ったのか? ああん? 君、ゲームオーバーね」

「望月さん。よくも噛んでくれたわね。あんた、負け犬のクセに調子乗ってんじゃないわよ。ゲームオーバーね」

「酷いよ望月さん。君となら分かり合えると思ったのに、俺を置いて逃げ出すなんて。この負け犬、お前なんて死ね。ゲームオーバーだ」

「え〜、望月さん。覚えてますか、青木です。という事でゲームオーバーです」

千佳は気が動転しそうになった。ギターを掴んだまま、大きく後退りする。

傍にいた店員は冷ややか目で千佳を見つめ、周りの大観衆達が千佳を逃がさぬようぐるりと囲んだ。

距離を詰めて、千佳の間近まで接近してくる。すると千佳は大観衆の中に見覚えのある顔を見つけた。

紫色のコートを着たあの男、全身大ヤケドをおって蠢いていた男だ。深い憎悪が込められた瞳が千佳を捉える。

更に、千佳が店内で暴れ大怪我を負わせた男達の姿もある。逸早く逃走したみすぼらしい上田の姿もあった。

「な、なによその目は。わたしは負け犬じゃないよ。だって、わたしには向上心があるんだもん」

か細い声だった。轟音の中では通らず、半分打ち消されていた。

聞き取れた男達は含み笑いをして、周囲の男達に耳打ちしていった。含み笑いの輪は伝染していく。

紫色のスーツを着た男に話が伝わると、男は発狂し、とっさに近づいて千佳の胸倉を掴んだ。

「向上心? なめとんのか。負け犬のくせに何眠たいことほざいとんじゃわれ。お前は何一つ満足にできへん、暴れるだけしか能のない負け犬なんじゃ。負け犬がガタガタ偉そうな口叩くなボケが」

大観衆が一斉に男に拍手を送った。千佳は何一つ言い返せず、男から目を背けた。

それを受けて大観衆からブーイングが浴びせられた。死ねよ負け犬、うぜえよ負け犬、逃げたくせに偉そうなんだよ負け犬、いい加減負け犬って認めろや。

男達は口々に罵声を浴びせ続けた。千佳の目が赤く充血していた。

「違う、違えよ。わたしは負け犬じゃない、向上心があるから負け犬じゃないっつってんだよー」

千佳は叫び、突拍子に音の鳴らないギターを弾きだした。

ひたすら襲い来るブーイングを振り払い、千佳は頭を激しく振って、ギターに描かれた弦の絵を指で弾きまくった。

左手は三色のボタンを強く押さえ、意味もなく何度も何度も連打した。

千佳は一人でロックを歌っていた。大観衆のブーイングは千佳への声援だ。

千佳は歌に乗せて訴える、自分が負け犬じゃないと訴え続ける。

聞き入れられない訴えは虚しく響き、大観衆の声援に益々熱がこもる。

千佳の咆哮はやがて小さくなり、くるりと一回転して動きを止めた。

千佳はギターを投げ捨て膝から崩れ落ちた。目に溜まる涙を両手で覆い隠そうとした。

「あっ、負け犬が泣いた」

負け犬は耐え切れずに涙を流した。辛くて、悲しくて、独りで強がる自分がいじらしく思えて、膝を抱えて泣き叫んだ。

床で跳ねる涙は何処か淋しくもあり、千佳の勇気を称える最大の賛辞にも見えた。

 

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