ブラックゲージ 〜 第三章 鉄の中 〜


第三章 鉄の中


 
 乾いた風が鉄格子の隙間を縫って、両手両足を電気のような輪で束縛された、軽装の稀白智頭を包み込む。
 智頭はこの世界の秩序を乱して拘束されてから、空腹を満たせるような食事は与えられず、ほくそ笑むような女神の微笑を湛える不気味な女性にぐるりと囲まれていた。智頭は数週間もコンクリートの壁に囲まれた牢屋の中で解放を待ち望んでいる。
 世界をも破壊する暴力を誇る稀白智頭を拘束するのは、純白の合羽のような豪華な衣服を羽織り、容姿端麗な素顔を白いフードで隠した女性だった。頭に針のような細長いアンテナを刺しており、両手を伸ばして電気染みた火花を放出している。火花は空気中を泳いで智頭の両手首と両足で輪を作り、コンクリートの内壁に何本も電気の線が繋がっていた。同様の服装を身に纏った女性が智頭の周囲に数十人といて、智頭の膝の付け根や肘の関節など、全身の至る所が電気の輪で締められ牢屋内を所狭しと蜘蛛の糸のように伸びている。それほどのエネルギーで封じなければ智頭を繋ぎ止められないのだ。
「ひい、お願い、早く出してよお、私は人を殺してないと生きていられないんだよお」
 智頭は極度の飢えと長期に渡る拘束で禁断症状に陥り、手足を小刻みに痙攣させていた。牢屋の外の狭い廊下には、やはり同様の恰好に身を羽織った女性が、深紅の口紅を塗った薄い唇を広げて微笑していた。女性の傍には下界の賑やかな景色を投影する透明なガラス板が廊下の端から端まで絶え間なく延びている。
 活気付いた外の景色を満足そうに眺めながら狭い廊下を歩く男が現れた。男は智頭の牢屋に張り付いた巨大な錠にぴたりと嵌る、少年を薄く潰して平らな鍵状に変えた肉の鍵を両手に携えていた。 
「おかえりなさいませ、メント・スクルバ様。レゴス、稀白智頭はこちらであられます」
 牢屋の外にいた女性は身分を弁えて頭を下げた。メント・スクルバと呼称された男は右手を振って女性に顔を上げろと促した。メントは錠に肉の鍵を差し込み、数週間封じてきた牢屋を久し振りに開錠した。 
「やあ、君に会うのは確か二度目だったかな。随分美しくなったね」
 智頭を拘束する任に就いた牢屋の中の女性が一斉に振り返る。智頭はメントの正体を察して憎悪に頬を引き攣らせた。メントは頭に被った黒いフードを脱ぎ、左の目尻から唇の左端まで蛇行した傷痕が伸びた素顔を見せた。嘗て智頭と対峙した際に浴びせられた白刃の古傷だ。鼻の筋は鷲鼻に屈折しており、両目の間隔が極端に離れている。
「あはあ、やっぱりここはお前の世界かあ。ねえ、私を捕らえたらどうなるか、承知の上でやったのかなあ」
 智頭はメントを無惨に切り刻む光景を想像して愉悦に頬を緩ませた。途端に全身から威圧が放出され突風が巻き起こり、電拘束に集中する女性の体をじりじり後方に圧迫していく。男は女性の背中を両手で押し返してやりながら邪悪な笑みで応えていた。
「何を言うんだいレゴス、以前君と会った時、私の領域では暴れないと約束したじゃないか。私は君の清清しいまでの殺戮を肯定しているんだよ。私が苦労して集めた三億人の人間を殺したっていうから、こんなところに閉じ込めているんじゃないか」
 メントは数年前に智頭と取り付けた約束を持ち出した。智頭は唖然として過去を振り返り、納得したような笑みで頷いた。だがすぐに鋭い眼光を放ってメントを睨み付けた。
「クク、それがどうした。もう許さないよ、お前は私に憎悪を抱かせたんだからさあ。試しに解き放ってくれよ、私が存分に甚振って愛してあげるよお、お前のような下衆野郎でもさあ」
 智頭は極大の憎悪に震えて獰猛に犬歯を剥き出した。穏やかな黒の虹彩は深紅に染まり、内壁と繋がれている筈の腕を強引に引き伸ばす。三メートル離れた位置から余裕の笑みを零すメントの頭を握り潰してやりたいのだ。
「おいおい、それは交渉決裂って意味かい。せっかく面白い奴等を見つけたから会わせてやろうと思ったのにね。あんまり我侭をいってると、こっちで勝手に支配しちゃうよ」
 メントは、黒フードを背後に流した黒合羽の服に縫い付けたポケットから水晶の球を取り出した。水晶の球は外の景色であろう光景を映し出して表面は光沢を放っている。メントは何歩か歩み寄って、智頭の視線と平行になる位置に球を掲げた。智頭は市場らしき風景に溶け込んだ章生とハチの姿に目を奪われた。
 智頭の驚愕した反応を眺めて、メントは悪戯な笑みを零した。
「ねえ、これ、君の家族なんだって。君が尤も殺したい愛する家族、私が先に、支配しちゃおうかな」
 メントは黒の手袋を填めた右手で水晶を撫でた。智頭は限界まで顔の造形を憎悪に変形させて、憎悪の化身のような破壊者の形相を露にした。
「貴様、私の獲物に手を出す積もりかあ。殺す、もう際限なく殺す、絶対に殺す、ほら、解けよ。殺してやるよ。グチャグチャに引き裂いて、ミンチに変えてやるよ。あ、ごめんね。食ってあげるよだったねえ、あはははは」
 周囲を取り巻く女性は智頭の凶悪な威圧で壁の隅まで追いやられていた。平然と威圧を受け止めるメントは歓喜に高笑いして、何も握っていなかった右手の平に細長いアンテナを生成した。
「少し黙ってろ。加減を知らぬ破壊者が」
 メントは熱狂から冷めた顔で蔑むように呟いた。憎悪に怒り狂う智頭の額には細長いアンテナが突き刺さっていた。智頭は全身を支配するよう働きかける得体の知れない意思の念に駆られ、自発的に眼球を裏返して失神状態に陥った。壁に追いやられた女性が好機を逃がさず元の位置に戻ってくる。
「三分も経たぬ内に目を覚ますだろう。早急に公開処刑の日取りを決めねばならぬな。お前達、数を増やしても構わんからそいつを全力で抑えとけ。気を緩めば瞬く間に皆殺しにされるぞ」
 メントは黒合羽に水晶を仕舞って女性に言い聞かせた。了承に返事する女性を尻目に牢屋の外に歩き出す。
「メント・スクルバ様、レゴスの親族はどのように致しましょうか」
 メントを引き止めるように牢屋の中にいた女性の一人が言った。メントは背後を振り返らずに当然のように即答した。
「支配しておけ」
 メントは颯爽と廊下を歩き出して、そのまま何処かへと消えていった。女性一同は頭を下げて主が消えるまで見送った。
「三千五十六号、メント・スクルバ様から許可が下った。レゴスの親族を支配しろ」
 やがて、牢屋の外にいた女性が、フードに手を触れて外部と連絡を取った。すぐに大勢の住民でごった返す市場を警戒する別の女性に、ハチと章生をこの世界に取り込むようメントの意思が伝達された。



 章生は見慣れぬ市場の光景に、好奇と戸惑いが混じった視線を這わせていた。ハチは恐怖に竦み上がって、章生にべったり寄り添っている。それは単に未知の世界に怯えているだけではなく、減水の死が尾を引いて、必要以上に章生の身を案じている背景もあった。
 石畳造りの通りを歩く人々は、各自が生活圏の異なる多様な衣装を羽織っており、左腕の断面を露出したハチを取り分け気に留めず、平然と各自の日常に没頭していた。赤白の縦縞の屋根を被せた露天には、野菜や肉や陳列されていたり、豊富な種類の日用品が取り揃えられている。住民は黄金色に輝く硬貨と希望の商品を交換しているようだ。
「お兄ちゃん、人が一杯いるよ。襲ってきたりしないかな、ここにいて大丈夫かな」
 ゲージを越えた瞬間に広がった景色が市場だった。ハチと章生は未知の情景に放り込まれて、未だに自らの足で歩いていない。時折ぶつかる他人の肩で数歩移動する程度だ。章生は一頻り市場の様子を観察して、か弱い声帯を震わすハチの頭を撫でてあげた。
「心配するな。恐らくここでは殺人は許可されていないからね。確信はないけど、この世界も闇の壁に囲まれているから基本的な構造は何処の世界も同じなんだと思う。構造が同じなら、混雑する場所を避ける人間の心理も共通してるよ。わざわざ殺されに外に出る人間はいないしね。殺人公認の僕らの世界でも、人が集まるのは家族を人質に取った鍛冶場ぐらいだっただろ」
 章生は怪訝そうな顔付きで説明を聞いているハチの心中を悟った。ハチは故郷の世界で一度も鍛冶場に訪れていなかった。章生は頭を掻いてリュックの蓋を開け、サードマンから取得した大まかな規則書を取り出してページを捲った。
 章生は殺人禁止の条例を証拠として提示しようとしたが、規則が全く載っていない白紙の本を開いて呆気に取られていた。
「馬鹿な、何も書いていないなんて。これではこの世界には規則が存在しないことになる」
 凍り付いた章生の顔がハチの不安を煽った。ハチは章生の腕に右腕を絡ませ、市場を抜けるように章生を引っ張って歩き出した。 
 章生とハチの上空には雲一つない晴天が澄み渡り、世界の四方を塞ぐ闇の壁の間際には、都市部の外周を囲うように田舎の情景が広がっている。ハチと章生の現在位置は、嘗てない巨大な正方形の中心部であり、地上五階余りのレンガ造りの民家が幅広の路地を挟んで軒並みを連ねていた。赤い屋根を被せた民家の果てにはだだっ広い広場があり、その奥にはこの世界の象徴らしい、幾何学模様の建造物が聳え立っている。
 総勢三億人を凌ぐ住民を蓄えるこの世界に、智頭を捕らえた女性と瓜二つの女性が数万人は潜んでいた。頭に被ったフードの裏側に三千五十六号と刻まれた女性の一人は、赤い民家の屋根の上から住民を掻き分けて落ち着ける場所を探索するハチと章生を眺めていた。火花を放つ左手を眼下に差し出して、ハチに照準を合わせている。
「四万二号、レゴスの親族は賛歌通りを進行中です。稀白章生の方はあなたにお願いします」
 三千五十六号の女性は右手をフードに触れさせ、撞き立ての大福で盛況する露天の傍にいた別の女性に意思を伝達した。すぐに了解の返事が女性に伝わり、女性は指先から弾ける火花を収縮して、手の平大に円状に渦巻く光の塊を生成した。
「稀白ハチ、支配する」
 銃声の高い音が虚空に轟いた。目を見開いてハチに光弾を発射しようとした女性の頭が消失していた。弾けた生首が民家の屋根で一度バウンドして、眼下に広がる露天の屋根に落下していく。生首の重みで布製の屋根は突き破れたが、関心を留める住民は誰一人いなかった。
「危ないところだった」
 市場を囲む反対側の民家の屋根で、水平に潰れた帽子を被った男が呟いた。ライフル銃を肩越しに背負って女性に狙撃したようだ。帽子からはみ出た豊かな金髪を腰まで伸ばして、狩猟に用いる道具を腰に巻いたベルトに装備していた。
 男は腰のベルトから小型の無線機を外して、章生とハチの間近にいる仲間に連絡を取った。
「あれは、サードマンか」
 ハチに腕を引っ張られて前めりになった章生が、人込みに紛れる同じ外見の女性に違和感を覚えていた。大福の屋台の前を通過した辺りから、明らかに複数の女性がこちらに視線を向けて尾行している。章生が背後を振り返るだけで、十五人は視界に飛び込んできた。
「まずいぞハチ、理由は分からないが追われてる。逃げるぞ」
 章生はハチの右手を握り締めて全力で駆け出した。人込みの合間を縫って逃走を図る。立場が逆転して引っ張られる形になったハチは、露天の屋根から屋根へと飛び移って、こちらに迫ってくる複数の女性に漸く気付いた。女性は両手から火花を散らして、手の平大に光の塊を生成している。
「お兄ちゃん、死なないよね。私達、生き延びれるよね」
 ハチは余裕の失せた兄の横顔に減水の死を過ぎらせた。ハチの心境はゲージを越えた当初より移ろい、せめて家族だけで生き延びれ、他人の干渉が存在しない規模の狭い世界を切望していた。章生は生存を保つために口を閉ざして必死に通りを駆けるが、前方に潜んだ二人の女性が両手に火花を散らして待ち構えていた。
「くそ、ここは捕まるしかないのか」
 章生は額に冷や汗を滲ませて速度を緩め、大人しく女性の包囲網に取り囲まれた。住民は騒動が勃発したのにも拘らず、冷徹に賑やかな日常に没頭していた。
「稀白ハチ、稀白章生、あなた達を支配します」
 前方の女性が宣告して手の平の火花を圧縮した。ハチは両目をきつく閉じて章生を庇うように正面に飛び出した。章生は咄嗟にハチを背後に隠そうとしたその刹那、周囲を取り囲む女性の頭が爆ぜて、肉片と脳漿が石畳の地面に飛び散った。
「これは、何者だ」
 唯一生き残った前方の女性が頭上を見上げると、民家の屋根にライフル銃を背負った複数の男が潜んでいた。男達が照準を合わせる間に、屋根から飛び降りてきた小柄の少年が、硬質な右足を伸ばして女性の頭を踏み砕いた。章生とハチは息を呑んで崩れ落ちた肉塊を見渡し、鮮血と肉片で装飾された凄惨な地面に着地した少年に視線を向けた。
「危ないところでしたね。リードマンは人間を支配するよう命令を与えられています。この世界はメント・スクルバに支配されたトラップゲージですから、早く脱出した方がいいですよ」
 少年は言葉丁寧に聞き慣れない台詞を並べて見せた。章生は冷静な思考を活用して大体の見当を付けると供に、光沢を放つ少年の金属質な皮膚を窺っていた。少年は褐色の特殊な金属板で構築された人間を模した機械だった。硬質な髪を寝かせたあどけない顔立ちは、ハチと同年代の人間を想定して造られたのだろうか、人間の表情を忠実に再現してハチを和ます微笑を送っている。背中には縦に二つの穴が開き、数分に一回は熱放射のために白煙を巻き上げている。用途は不明だが両肩や両膝、更に手の平にも小さな穴が開いていた。
「助けてくれたみたいだね、どうもありがとう。出来れば君が何者か教えて欲しいんだけど」
 章生はハチを背後に隠して、正体不明の少年を警戒していた。少年は慌てて膝に手を添えて頭を下げた。
「これは失礼しました。僕の名前は脂身改造マークワンと言います。仲間からは脂身とかマークンとか呼ばれていますが、あなた方に危害を与える積もりはないので、安心して下さい」
 脂身改造マークワンと名乗った変てこな少年の顔色を、ハチは怪訝そうに顔を覗かせて窺っていた。穏やかに愛嬌を振り撒く脂身から悪意は感じ取れない。章生は機械の人間と遭遇したのは初めてだったので当惑してる様子だった。
「僕は稀白章生で、こっちは妹のハチだ。取り敢えず、君を信用するよ。ここにいたら、またさっきの奴らに狙われるみたいだから、場所を変えて話さないかい」
 章生は遥か前方の雑踏に紛れる追っ手らしき女性に気付いて提案した。脂身は再び慌てふためき、膝に手を添えて低頭した。
「ごめんなさい、これは気付きませんでした。それでは僕らのアジトに案内します。僕の後ろに着いてきてくれませんか」
 脂身はそう告げて、民家と民家の狭間にある暗い路地に歩き出した。民家の屋根にいた仲間らしき男達も民家を下りて、同じ方向に向かっている。章生とハチは脂身が背後に噴出する白煙に噎びながら、路地の隠し階段を下りる脂身に同行することにした。



 ハチが埃被った階段を下りた先には、木製の古い扉が待ち受けていた。
 先頭の脂身が扉を開けると、分厚いコンクリートで内壁を厳重に補強した地下室が現れた。壁際にワイン酒を詰めた樽が数個並び、側面の壁一杯にこの世界の娯楽番組を映したスクリーンが貼り付いている。数十個は転がる椅子代わりの木製の箱には、高度な技術を結集して製造された武器の類が詰め込まれてあった。章生が部屋の片隅にある鋼鉄の扉に気付くと、脂身は仲間の寝室だと即座に答えを返した。
「どうぞその辺の箱に坐って下さい。お二人は勿論、観光でこの世界を訪れたのではありませんよね。よかったら経緯を聞かせてくれませんか。僕達と同じ意思を抱いているかも知れないし」
 脂身は好奇心に飢えた機械の瞳で、身を寄せ合って木箱に腰掛ける二人を眺めた。章生が初対面の脂身に情報を洩らしていいものかと悩んでいる内に、脂身の仲間が木製の扉を開けて帰ってきた。その中には、民家の屋根からハチを狙っていた女性を殺害した金髪の男も混ざっていた。屈強な体躯を作り上げた男達は、ライフル銃を肩に掛けて木箱に着席する。
 脂身と違って敵意が垣間見れる修羅場を潜ってきた男達の瞳に気圧され、章生は逃走劇とも呼べるこの世界に行き着いた経緯を正直に白状した。
「脂身さんの言動から、あなた方は僕達と違ってゲージの存在を知り尽くし、移動手段して使用していると勝手に印象を受けましたが、僕たちは命がけの最終手段として教わってきました。その価値観は今でも変わっていない。僕達はある男性を自害に追い詰めて、命からがらここに辿り着きました。だから僕達は何も知らないし、あなた方の役に立つ情報は何も持っていません。僕達を助けてくれたのは、何らかの目的があってのことでしょうしね」
 章生は最後に脂身と男達に感じた見解で締め括った。章生は救出の裏を読んで、男達が見返りを要求していると考えていた。男達は真摯な瞳で現状を分析して、後ろ盾がない素性を正直に明かした章生に感服したようだ。頬を緩めて緊張を和らげるような微笑を送った。 
「なるほど、無知な田舎者か。それなら俺達の敵でもないし、味方でもないな。どうする脂身、無償でゲージの世話までしてやるか」
 水平に潰れた帽子を被った金髪の男が脂身に尋ねた。脂身は悩むまでもなく即座に首を縦に振った。
「当然だよレグザス、ハチさん、章生さん、一方的にお尋ねしてごめんなさい。その代価として僕達が知ってる限りの情報を提供をしますよ。勿論、トラップゲージを脱出する際に使うゲージも僕らで用意しておきます」
 脂身の身勝手な独断で話が進むので、レグザスと呼ばれた金髪の男の顔は顔を曇らせていた。蚊帳の外に置かれたハチは、章生の腕にしがみ付いて死の恐怖に体を震わせていた。殺傷力のある武器に畏怖しているようだ。
 章生はハチの心境を察して、どうやらこの世界を脱するのが先決だと思い立った。   
「情報を下さるのは助かるのですが、妹のハチは自害した男性の傷を引きずって人に怯えていましてね。できれば早急に心静まるような安全な世界へのゲージに案内してくれませんか。この世界の規則は分かりませんが、ゲージがあるのでしょう」
 章生の言葉にハチは感動して目に涙を湛えた。人間の残酷な悪意に触れて、ハチの心身は家族以外の他人を許容できる状態ではなかった。章生と智頭と三人で生活できる環境があれば後は何も考えたくない。安全な世界でハチと生活を営みたいのは章生の本意でもあった。
 脂身は仲睦ましい笑顔を見合わせる二人を、羨望が混じった瞳で暫く眺めていた。
「残念だがメント・スクルバが統治するこの世界にゲージはない。何故なら、住民はリードマンに脳を支配され、人形のように定められた生活を規則的にこなすだけだからな。住民には意思がないから、別の世界に旅立つ気さえ起こらないわけだ。ゲージを用意してやるというのは、住民の誰かを捕まえて殺すと言う意味だぞ。安全な世界へのゲージが繋がるかはお前達の運次第だな」
 レグザスが意地悪な笑みを浮かべて釘を刺した。ハチは束の間の陶酔から醒めて、無情な世界を彷徨う旅の続行に絶望していた。脂身は要求に応えらない非力を嘆いて、申し訳なさそうに頭を下げた。  
 章生が溜息を付いてハチの頭を撫でていると、娯楽番組を放映していたスクリーンが暗転して、黒合羽を羽織ったメントが画面を陣取る緊急速報に切り替えられた。手袋を填めた右手にはマイクが握られている。
「やあ、住民の皆、メント・スクルバからお知らせだよ。君達の仲間を沢山殺したあのレゴスの公開処刑日が遂に決まったんだ。場所はもちろん中央広場で、日時は二日後の正午だ。左腕の切れた妹さんも、頭の切れるお兄さんも、憎悪を享受するレゴスの壮観な死に様を是非見に来てね。楽しみに、してるからね」
 メントは放送を観ていると思われる章生とハチを意識して言い終え、画面を切り替えて投獄中の智頭の姿を映し出した。ハチは顔を蒼白させて、数ヶ月ぶりに再会した拘束される無惨な姉の姿を画面越しに見詰めていた。章生も智頭の緊迫した現状に心中穏やかではないようだが、その瞳には僅かな期待が入り混じっていた。智頭の死によって、ハチを完全に我が者に独占できる野望が実現されようとしている。
 画面は再び暗転して娯楽番組に戻ったが、地下室内では明確な殺意に燃え滾る男が続発した。禁断の台詞に激昂して、ライフルの銃口をハチと章生に向ける。 
「お前達がレゴスの家族なんだな。畜生、よくも騙しやがって、僕達は何も知らないだと。お前達が家族を殺したレゴスの手先じゃねえか。ぶっ殺してやるよお」
 熱り立つ男の一人が激情に身を委ねて発砲した。弾丸は一直線にハチの頭を捉えていたが、命中する直前に脂身の硬質な左手が弾丸を天井に弾き飛ばしていた。男に振り向いた脂身の機械の瞳は冷酷な殺意を放ち、ライフル銃を構える男達を鎮圧させる。ハチは状況を呑み込めず、ただ現実に差し迫る暗い前途に茫然としていた。
「二人はレゴスの殺戮に加担したわけじゃないだろ。僕達の標的は飽くまでレゴスとメント・スクルバだけだ。戦闘中に犠牲者を出すのは止むを得ないが、生き延びようとしている人を無闇に殺すのはやめろ」
 脂身は声色を変調させて男達を説き伏せた。章生は極刑を受ける智頭を想って放心するハチを抱き止め、脂身を含めた武装した男達の素性の解明に至った。恐らく彼らは嘗て智頭とメントに家族を殺された、或いは支配された生き残りだ。
 静観していたレグザスは、不機嫌そうに欠伸を洩らして沈黙を破った。
「レゴスの親族さんよ。俺達はレゴスに世界を滅ぼされた生き残りの集まりなんだよ。悪いが皆相当な恨みを抱いている。仲間の技術者が総力を結集した対レゴス用の脂身が五年前に完成して、それからずっとレゴスを殺す機会を窺っていた。そして漸く公開処刑という恰好の好機に恵まれたんだ。俺達の世界の民を奪ったメント・スクルバもろとも、復讐させてもらうぜ」
 レグザスはライフル銃に弾丸を込めて、決意を表した銃弾を章生の頬に掠めさせた。味方に徹してくれた脂身もレグザスに賛同しているようだ。例え犠牲者を伴なっても必ず復讐を果たす強靭な意志が、彼らを戦地に赴かせている。章生は付け入る隙が無い騒乱を恐れて、早急にゲージを越える決意を固めた。
 だが、放心していたハチは、章生の思惑や彼らの憎悪を真っ向から否定するように、気丈に少女の意思を振り絞った。
「お姉ちゃんを殺さないで下さい。私の大切な家族なんです。あなた達には力があるんでしょ。だったらお願いします。私と一緒にお姉ちゃんを助けてくれませんか。私は、お姉ちゃんが好きだから、死んで欲しくないから。お願いします、私に力を貸して下さい」
 ハチは大粒の涙を目に湛えながら男達に懇願した。復讐を企てる彼らに罪悪感が宿り、同胞を智頭に殺害された悲しみを少女に背負わせる現実を押し潰して、執拗に智頭に救いの手を求めるハチから目を逸らした。
「やめろ、ハチ。智頭に恨みを抱いている彼らの気持ちを少しは考えてみろ。智頭が殺戮を楽しんでいたのは事実だし、いくら家族だからといっても、罪は償わなきゃいけないと思うよ。それが死刑や復讐という形の死であってもね」
 章生は非情に告げて、遂に涙を零したハチの腕を掴んだ。脂身は地面に落ちた涙の水滴を眺め、決心が揺らいだ切なげな顔でレグザスに振り返るが、レグザスは無表情に首を振って作戦の続行を促した。
「どうして、いつも悪いことばかり起きるの。私達は、どうして安全に暮らしていけないの」
 ハチは渾身の力を込めて章生に抱き付いた。章生は返す言葉がなく、怒りの矛先を悲劇を招いた智頭に全て向けた。
「もう、この世界から出て行って下さい。あなた達の存在は僕たちの計画に支障をきたす。すぐにゲージは用意しますから」
 脂身は辛そうに声を張って、せめてもの思い遣りにゲージの移動を勧めた。
「そうですね、よろしくお願いします。あなた達の復讐の様子はハチには正視できないから」
 章生は智頭と過ごした日常を振り返って、泣き喚くハチを静かに抱き上げた。スクリーンに投影された娯楽番組だけが、この世界の造られた平穏な日常を皮肉に映し出していた。



 ライフル銃を携えるレグザスに先導されて、章生は無表情に俯くハチの腕を引き、再び市場の賑やかな風景に溶け込んだ。
 赤い屋根の露天で売り声を上げる八百屋の店員は、気さくに民家の狭間にある路地裏に抜けていくハチに声を掛けた。ハチは愛想悪く沈黙を守って、章生と供にレンガの袋小路が聳える路地裏に入っていった。
「そこで待ってろ」
 レグザスは無事に袋小路に到着した二人に告げて、八百屋の傍から仲間内でリードマンと呼称した女性に警戒を配った。群集に紛れている三体のリードマンは、両手から発する光の塊で洗脳した住民を見渡している。レグザスは気付かれないように野菜が詰まった木箱の裏に潜み、肩越しにライフルを構えて狙撃した。
「ぎゃばっ」
 リードマンの美貌が剥がれて、顔面の肉片が無関心な住民の頭に降り注いだ。間隔を空けた位置に紛れたリードマンが異変を察して、銃声が聞こえた木箱に詰め寄ってくる。レグザスは冷静に照準を合わせて、迫ってくる二体の頭部を破壊した。
「これでよし」
 レグザスはリードマンの気配が失せたと確信して、花柄のバンダナを巻いた八百屋の店員に銃口を突き付けた。容赦なく引き金を引くと、高い銃声が周囲に鳴り響き、側頭部を貫かれた女性の遺体が転がった。
「そこのお兄さん、キャベツ下さいな」
 八百屋を訪れた住民は、レグザスを店員と同一視して商品を声高らかに注文する。レグザスは無視して手早く口から鍵を抜き、頭から鮮血を滴り落とす八百屋の店員を路地裏に引き摺り込んだ。 口から引き抜いた黄金色の鍵は、ハチの肩を抱いて待機する章生に投げ渡された。
「さっきも触れたが、希望の世界に行けるかは運次第だ。操られた人間しかいないこの世界に規則はないが、下手に人を殺すとメント・スクルバやリードマンに目を付けられるからな。何処の世界に出ても恨むなよ」
 レグザスは店員の衣服を強引に剥いで、涙に両目を充血させるハチに告げた。章生は反応を示さないハチの代わりに頷いた。
 レグザスは上半身の布を剥いだ店員の乳房に目を落とした。胸には三億六千分の三と数字の羅列が刻まれており、レグザスの顔は見る見る内に強張った。数字の羅列で何処の世界に繋がっているか判断したようだ。
「どうかしましたか」
 章生は怪訝そうに問い掛けた。レグザスは慌てて首を振って深呼吸をした。
「いや、何でもない。別れる前にお前達にいいことを教えてやるよ。胸に刻まれた分数には意味があってな、分母はその世界に滞在できる人口の最大許容数を表し、分子は現在滞在している人口の数を示している。俺達は一度訪れた世界の分母を記憶して移動しているわけさ。この世界の分母は六億だ、記憶しておくといい」
 レグザスは誤魔化すように貴重な情報を託した。章生は数値が大きくなるほど巨大な都市に辿り着くと解釈して、今後に活かせる情報を忘れぬよう記憶した。
「それじゃあ俺はアジトに戻る。復讐のためとはいえ、お前達の家族を殺すことになってすまないな。できれば恨まないでくれ」
 レグザスは最後まで無表情を保ったハチを眺め、踵を返して市場の群集に呑まれて行った。ハチは名残惜しそうにレグザスの背中を見送っていた。
「ハチ、辛いだろうけどゲージを越えるよ。今後は僕とハチだけで暮らせるような世界を探そう。数字を参考にすれば、意外と簡単に達成できそうだしね」
 章生は腹部の鍵穴に鍵を差して左に回した。店員の皮膚が左右に捲れ上がって、螺旋に渦巻く闇の空間が覗いた。章生はハチの肩に手を回して先に潜らせようとしたが、ハチは乱暴に章生の手を払って寂しげな笑みを見せた。
「ごめんね、お兄ちゃん。私はこの世界に残る。お姉ちゃんを助けるまではゲージを越えれない」
 ハチは覚悟を決めた面持ちで、行動を供にしてきた章生との別離を告げた。章生は予期していなかった智頭への執着に困惑して、愛憎に頬を引き攣らせた。
「我侭を言うな。ハチ一人で、この世界を支配してる奴とサードマンみたいな化け物相手に智頭を助けられると思ってるのか。それに智頭は僕達を殺したいんだぞ。どうしてそこまで智頭を気に掛けるんだよ。お前がやろうとしているのは自殺行為なんだぞ」
 章生はハチの肩を揺さ振って怒りを露にした。ハチは真摯な眼を開いて、狼狽した章生の顔を突き返した。
「小さい時ね、お姉ちゃんは私を殺人鬼から助けてくれたの。大丈夫かって、格好良く助けてくれたの。お姉ちゃんは本当は優しい人なの。だから好き。もちろん、いつも優しくしてくれるお兄ちゃんも好きだよ。二人とも、失いたくないの。それだけじゃ、理由にならないかな」
 ハチの揺るがぬ決意に圧倒されて、章生は悲痛に顔を歪めて頭を掻き毟った。混乱した思考で現状を整理していく。
「僕の方がハチを好きな筈なんだ。ほんとにハチはいつも智頭ばかり。くそ、別れられるわけがないだろ。ハチが残るなら僕だって残るよ」
 章生は悔しそうに下唇を噛んで地面に蹲り、今後の方針を懸命に熟考していた。ハチは我侭に付き合ってくれる兄の背中に頭を下げて、精一杯の愛情を込めて章生の首に腕を回した。
「お兄ちゃん、大好きだよ。愛しているんだからね」
 章生の後頭部にハチの唇が軽く触れた。章生は色目を使う突飛な行動に動揺して頬を緩め、咄嗟に閃いた案を携えてハチの顔を正面に見据えた。
「いいか、ハチ。どう足掻いても僕達だけじゃ智頭は救えない。ここは、僕等を助けてくれた彼らの協力を仰ぐしかない」
 智頭の殺害を企てる勢力の力を借りると聞いて、歓喜に笑みを送っていたハチは章生の本心を勘繰った。
「つまり、彼らを利用するんだ。彼らから公開処刑の詳細な情報を聞き出して、更に戦力しても活用するんだ。当日は隠れ蓑になって貰い、騒ぎに乗じて智頭を助け出す。これしか方法はないよ」
 章生の本心は作戦失敗による智頭の無念の死であった。ハチを納得させるこの最善の展開までは発表されず、章生の胸の内で堅く封じられた。取り敢えず意見を一致させた章生とハチは腰を上げて、路地裏を抜け出ようとした。
「何処に行かれるんですか」
 いつの間にか、ハチと章生の背後に立ち尽くしていた脂身が言った。章生は会話内容を傍聴されたのかと動揺したが、脂身は何も知らぬ素振りで無垢な笑顔を振り撒いていた。
「智頭を僕達の手で殺してやりたくなったんだ。無闇に殺戮を繰り返すあいつを許しておけない。もし良ければ、君達の仲間に加えてくれないか」
 章生は毒づいた口調で大袈裟に演技していた。実際に智頭の死を願っているので真に迫っている。脂身は章生を見ておらず、凛と澄んだ瞳で要求を後押しするハチを眺めていた。
「お願いします脂身さん。私達も協力させて下さい」
 ハチは胸に手を当て、智頭を救いたい意思を込めて誓いを立てた。脂身は心変わりした二人に別段驚きもせず、二人を歓迎するかのように微笑んだ。
「分かりました。仲間は嫌がりそうですが僕が説得しますよ。お二人は今から僕達の新しい仲間です」
 脂身のあっさりした返答にハチの顔が綻んだ。章生はハチの耳元で協力者を装うよう厳重に念を押して、満足そうに足を早める脂身と供にアジトに引き返した。


 
 翌日の深夜、半ば強引に説得されたレグザス率いる偵察班は、脂身とハチを二人きりにして中央広場に大型車を走らせていた。
 外部からの視認を遮断する防圧なガラスが張られた荷台に詰め込まれた章生は、未だに不満を絶やさない男達に囲まれて、息苦しそうに荷台の隅に追いやられていた。男達は一様にライフル銃を肩に掛けて、章生を扇状に取り囲んでいる。
「あの、そろそろ具体的な作戦内容を教えて欲しいんですけど」
 章生は恐る恐る獣の皮で全身を覆った男の一人に尋ねた。腰のベルトには小型の無線機や携帯用の銃が差し込まれている。章生はアジトに戻って以来、険悪な雰囲気を脱せずに情報を聞き損ねていた。再三試みた似たような質疑に彼らはいつ応えてくれるのだろうか。ハチに興味を抱いてべったり密着する脂身の動向も気懸かりであり、章生は気が休まらない共同生活を送っていた。
「偵察がてら現地に着いたら教えてやるよ。そう怖がるなよ、脂身は俺達のリーダーだ。奴が決めたんだから従うさ」
 レグザスは脂身に賛同して章生を宥めるように微笑を湛えた。章生が丸一日掛けて彼らの動向を観察して気付いたのは、脂身とレグザスは集団で一目置かれている強者であるということだ。レグザスの言動には男達は非難の声を上げずに黙している。
「メント・スクルバという支配者についても尋ねたいのですが。智頭、いやレゴスと対を成す存在なのですか」
 章生は他の男達との接触を諦め、情報を洩らしてくれそうなレグザスと向き合った。レグザスは考え込む様子もなく、あっさりと情報を流してくれた。
「奴も類稀な能力は秘めているが、頭の悪い支配者だ。基本的に意思を込めた棒状のアンテナを生成して、突き刺した相手の意思を封殺し、自分の意思に従わせる能力を持っている。その能力で六億人を収容できるこの世界のサードマンを支配して、リードマンに変えたわけさ。並外れた身体能力も持ち合わせているが、レゴスに比べれば蚊ほどの存在だな」
 章生は住民を操作するリードマンの原型が、世界を監視するサードマンだと容易に呑め込めた。各自が同じ出で立ちをして、常人を超越する特殊能力を扱える生物はサードマンくらいだろう。
「頭が悪いとは」
 章生は調子に乗って細部まで聞いてみた。レグザスは鼻を鳴らして章生を嘲笑った。取るに足らない質問だったようだ。
「悪いだろ、人間の欲求に身を任せているだけの愚かな奴だ。それはレゴスにも言えるけどな」
 章生は納得したように笑みを零した。智頭の性質を否定してくれるレグザスとは気が合いそうだ。
 大型車は寒色のビルが軒を連ねる都市部を抜けて、智頭の暴力によって崩壊した瓦礫の山が散乱する居住区に差し掛かった。頭にアンテナを刺し込まれたリードマンは目を光らせて大型車の情報を認識するが、妨害するような機能が搭載されているのか、支配者に牙を抜ける対立組織を素通りさせた。
「もうすぐ着きますよ。ライフルに弾を込めて準備して下さい」
 運転手が窓を開けて荷台の男達に告げた。レグザスは片隅に置いた木箱の蓋を開けて、一メートル近い銃身のライフル銃と数十発の弾丸を詰めたパックの詰め合わせを章生に投げ渡した。章生は初めて手にした奇怪な武器に困惑して、レグザスに指導を仰いだ。
「まず弾を込め、スコープを覗いて照準を合わせる。後は引き金を引くだけだ。多少外れても自動で奴等の脳天に追尾してくれるよ」
 男達がライフル銃の後部の穴から弾を込めている仕草を眺め、章生は見よう見まねで弾丸を後部から押し込んだ。大型車は砂利道に入って車体を揺さ振り、中央広場らしい場所で漸く停止した。
「リードマンを発見次第、殺せ。洗脳された奴は仲間でも容赦なく殺す」
 レグザスの非情な合図と供に、男達は防圧なガラスの扉を開けて外に飛び出した。章生はレグザスの後に続いて最後尾で飛び出す。中央広場には、焼けたコンクリートの大地を整備していたリードマンが多数潜んでいた。男達は広場を取り囲む八又の分岐路に走りながら、両手から支配の火花を散らすリードマンに照準を合わせる。
「広場を監視する全号に告ぐ、緊急事態がはせっ」
 フードに手を触れて意思を伝達しようとしたリードマンの側頭部が弾けた。途方もない方向に乱発される銃弾が、観衆用の椅子を陳列するリードマンの群棲に軌道を修正して命中する。章生は赤い蜘蛛の糸が覗けるスコープの接眼部に目を当て、冷静に狙撃を繰り返した。面白いように直線の弾道がリードマンの脳天を貫いていた。原型が世界を監視するサードマンだと知って、引き金に添えた指に熱が籠っていた。
「レゴスの兄、お前は俺と一緒に狙撃場所の確保に当たるぞ」
 レグザスは戦闘中に作戦の一端を章生に告げた。章生は訳も分からず、八又の分岐路の角に位置する廃墟に侵入したレグザスの後に続いた。広場に十人余りを残して、他の男達も角に位置する廃墟の制圧に乗り出す。
「奴等が撤退するまで戦うぞ、撃ちまくれ」
 章生が侵入した廃墟の前に集結した男達が一斉に発砲した。鈍い銃声が響き渡り、広場にライフルの硝煙が立ち込める。突然の来襲に面食らったリードマンは、発射までに十秒を要する支配の光を放てず、敢え無く頭を撃ち砕かれた。
 章生とレグザスは廃墟に潜んでいたリードマンを片っ端から始末して、破れた窓が三つ並んだ最上階の五階まで辿り着いた。錆付いた窓枠と内壁のコンクリートが欠けて鉄筋が露出した何もない部屋だ。 
 レグザスは破れた窓枠から僅かに顔を出して、広場とその奥に聳える幾何学模様の建物を正面に見据えた。
「俺とお前はここを拠点にしてリードマンを狙撃する。早く下の仲間を手伝ってやれ」
 レグザスは広場に群がる男達に詰め寄るリードマンに狙いを定めた。章生は指示通りに別の窓枠から顔を覗かせ、冷静に下界のリードマンに狙いを定めた。
「撃て、殺せ、俺達は必ず勝てる。奴等を殲滅しろ」
 レグザスは腹から振り絞った鼓舞を広場に響かせた。廃墟の前に集結した男達は掛け声を発して士気を高め、八又の角に位置する廃墟を潜伏した男達と共同して、数を減らしたリードマンに連射の放火を浴びせた。
「おのれ、弾の数が多すぎる。これでは支配が間に合わぬわ。全号、一時撤退だ。引き揚げるぞ」
 陳列された椅子の奥に設置された処刑台の裏に隠れたリードマンが、フードに手を触れて意思の疎通を図る。意思を受け取ったリードマンは、男達に背を向けて全力で幾何学模様の建物に駆け出した。
「逃げる奴等も撃ち殺しちまえ、俺達からの宣戦布告だあ」
 男達は激情に駆られて敗走するリードマンの後頭部に発砲した。フードを突き破った弾丸が額を貫通して、放棄された観客用のパイプ椅子を弾き飛ばす。章生は初めて味わう殺戮の快楽に頬を緩ませ、冷酷な鋭い目付きでリードマンを射殺し続けた。
「撃ちかた止め、既に制圧完了している。シールドの設置が終わり次第、各自の持ち場で待機していろ」
 レグザスは腰のベルトから無線機を外して総員に指示を送った。殺戮に熱狂する広場の男達は我に返るが、章生は熱狂から醒めずに未だに連射を絶やさない。
「おい、レゴスの兄、その辺にしとおけ。本番は明日の正午だからな」
 レグザスは章生に銃口を向けて静止を促した。章生は不服そうにレグザスを一瞥して、静かに銃身を下ろした。
「作戦は成功した。予定通りにシールドを張ります」
 廃墟の前に集結した男達は歓喜に沸き上がって、掘削用のドリルと地雷のような液晶時計が付属した機械を車の荷台から下ろした。至る所に転がるリードマンの死体を尻目に、処刑台の傍の地面をドリルで穴を掘り出した。瞬く間にコンクリートの岩盤が崩れて、機械が埋め込められるほどの空間が完成する。男達は機械をその穴に設置しているようだった。
「お前が運良く生き残ったから説明してやるよ。あれは中央広場一体を囲めるだけの時限式のバリアだ。公開処刑が行われる正午の数分後に発動して、外部からのリードマンの侵入を妨げる。内部にいる俺達はシールド内で逃げ場のないレゴスとメント・スクルバを駆逐するわけだ。尤も、俺達の役目はレゴスと戦闘する脂身の援護射撃程度だがな」
 レグザスは高度な文明で製造されたバリアの概念を交えて作戦を説明した。章生は聞き覚えのない用語に顔をしかめたが、戦闘領域を脱せない状況下で、如何にハチと自分の身を保全するかを考慮した。
「シールド設置完了しました。持ち場に着いて、マークンの到着を待ちます」
 機械を設置した男の一人が無線で総員に通達した。コンクリートで埋めた機械に背を向けて、分岐路の角の廃墟に引き返していく。だが、死体に扮したリードマンが微かに呼吸を洩らし、痙攣した両手を男の背中に翳して支配の光を凝縮させた。
「しかし、リードマンとやらは随分弱いですね。まるで人を支配する以外の能力は発揮できないみたいだ」
 章生は犠牲者が出なかった戦果を分析してレグザスに問うと、広場にいた男達の悲鳴とライフルの銃声が廃墟に響き渡った。レグザスは瞬時に反応して狙撃の体勢に構えるが、仲間が正気を失って高笑いを上げる姿に引き金に添えた指が止まった。
「あはははは、死ね死ね、皆殺しだあ」
 広場の男達は同胞の反逆に驚愕して、反撃せずに持ち場の廃墟へと駆け出した。レグザスは新たに支配の光を集める瀕死のリードマンを発見して狙撃する。
 高い銃声が二発同時に鳴り響いた。一発が瀕死のリードマンの頭部を爆ぜさせ、もう一発は洗脳された男の頭部を撃ち砕いていた。レグザスは弾道の方向から近接する距離で発砲した章生に振り向いた。その顔は冷静に反逆者を処理した達成感に酔い痴れていた。
「支配された仲間は容赦なく殺す。当然でしょ」
 章生は冷めた口調で、躊躇したレグザスを嘲笑うように言った。レグザスは歓喜と恐怖が入り混じった表情で、正論を述べる章生を仲間として受け入れた。
「実は試した部分があってな。例えお前が生き残っても足を引っ張るようなら殺そうと思ってた。だが、いくら関係が希薄とは言え仲間を射殺できる判断力と、リードマンの戦力を見破った分析力には恐れ入るよ。お前の言う通り、リードマンは支配以外の能力は大抵のサードマンの足元にも及ばない。だからライフルで簡単に頭を撃ち抜けるのさ」
 黙されていた過激な事実に章生は苦笑を浮かべた。偵察班と告げられて出発した筈なのに、リードマンとの激戦を繰り広げる羽目になった辺りから怪しいとは勘繰っていた。本意が読めないレグザスの警戒心に章生も恐れ入っていた。
「おや、それなら何故智頭は、いやレゴスは捕まったんです。メント・スクルバが直接手を下しても不可能な筈でしょ」
 章生は今更になって肝心な疑問に気付いた。レグザス曰く、智頭の蚊ほどの存在であるメントの虚弱な化身が、如何なる手段で智頭の捕縛に至ったというのだろうか。レグザスは布巾を取り出して、愛用のライフルの銃口を磨いていた。
「うちの脂身がレゴスと対等に渡り合って動きを封じたからさ。ひいき目に見ても、武器の扱いに秀でたレゴスの暴力と全くの五分だったよ。そこへリードマンの大群が押し寄せ、この世界を破壊していたレゴスを優先して捕らえた隙に、脂身は逃げ出したわけだ。予定外の脂身の単独行動だったが、これでレゴスを確実に殺せる機会ができた。拘束されて武器のない弱ったレゴスと脂身が戦えば、どちらが勝つか言うまでもないだろ」
 レグザスは揺るがぬ自信に満ちた瞳で語っていた。章生は顎を摩って今後の行動を綿密に熟考した。レグザスが述べた見解が事実ならば、智頭は援護射撃を含めた脂身との対決で確実に仕留められるだろう。ならば、極力戦闘に加担した素振りを見せて、ハチを守るように戦っていれば安全に目的は達成される確率は高い。 
 頭に妙案を過ぎらせて、章生は身の保全を重視した今後の指針を決定した。安堵したように広場の景色に目を落とすと、いつの間にか、数人のリードマンが戦死した仲間を処理していた。散乱する肉片を大型の掃除機で吸い取り、倒された椅子を起こして元通りに並べている。
「随分敵がうようよしてるな、あいつらどうする」
 レグザスは試すように章生にリードマンの処遇を委ねた。章生は鼻で笑って、当然のように即答した。
「戦場は綺麗な方がいい。掃除してくれているんですから、見守っておきましょう」
 レグザスと章生は互いに顔を見合わせて同質の笑みを零した。二人はリードマンを警戒しながら窓枠にライフル銃を干し掛けて、ハチと脂身の合流を待つことにした。



 洒落たランプで飾られた深夜の市場には、食料班の脂身とハチが疎らな人通りを縫って、厚い布で積荷を覆ったリヤカーを引いていた。
 ハチは脂身に贈られた防寒具を身に羽織り、首に厚手のマフラーを巻き付けて顔だけを覗かせていた。夜の概念が存在するこの世界は、昼と夜で寒暖差が激しいようだ。脂身は温度を感知しない金属板で平然と冷風を受け止め、ハチを認識しながら支配の光を放たないリードマンを嘲笑っていた。 
 ハチは女神の微笑を絶やさぬリードマンに怯え、仲間である脂身に対しても警戒を払っていた。身代わりとなった減水の死によって、ハチは生存者の家族にしか心を許せない精神状態に縛り付けられている。
「ハチさん、安心して。僕が傍にいればリードマンは恐れて手を出せないから」
 脂身は熱狂染みた好意の瞳を向けて、若干の距離を置いて歩くハチを宥めた。ハチはリヤカーを後部から押す役割を務めようとしたが、脂身は断固として譲らず、ハチの手を煩わせぬよう傍に従わせた。
「脂身さん、お兄ちゃんは、大丈夫でしょうか」
 ハチは武装した男達と出払った章生の身を案じていた。脂身は活発な売り声を上げて客を招き寄せる肉屋の灯りに引き寄せられた。木箱に敷き詰められた白味を帯びた粗引きのウインナーを、脂身は木箱ごと購入すると店員に伝えた。
「今頃はリードマンと交戦しているでしょうが大丈夫、レグザスが付いていますから」
 脂身は手の平の穴から硬貨を噴出して、露天の屋根から吊り下げられたざるの中に代金を支払った。リヤカーに木箱を詰め込む前に、肉の締まった二本を引き抜いて、機械の牙で齧り取る。脂身は口内に広がる濃厚な味わいに至福の笑みを浮かべて、もう一本をハチに差し出した。
「それって、お兄ちゃんを危険な目に遭わせているのね。脂身さんが代わりに戦えばいいんじゃないの」
 ハチは非難するような目付きで、せっかくの脂身の好意を拒絶した。脂身はもう一本を齧り取って、木箱をリヤカーに仕舞い込んだ。脂身の褐色の金属板は燃料を補給したかのような艶を放っていた。
「集団というのは和を乱してはいけません。僕がリードマンを倒すのは簡単ですが、それでは仲間の気が収まらないんです。復讐という名の下に集った僕等は、全員の力でレゴスを倒す。確実に仕留めれるかは分かりませんが、公開処刑されるレゴスをわざわざ殺しにいくのはそのためです。疎外感を与えることなく、自分の力で復讐を果たした喜びをね」
 脂身は次の物資の調達にリヤカーを引きながら諭した。智頭に対して憎悪を抱けないハチには理解し難い心境だった。無関係の兄を戦地に赴かせる必要性も感じられない。ハチは脂身に敵意の視線を向けて、傾斜になっている石畳の坂を下った。
「それに、お二人は僕達を利用する積もりだし、ちょっと懲らしめてやりたかったかな。ハチさんと二人きりになりたかったのもありますね」
 脂身はハチの悪巧みを見透かしたようにほくそ笑んだ。ハチは焦りを覚えて肩を疎め、章生に注意された秘め事を見破られた粗の元を混乱した思考で探索する。脂身は機械の部品が販売されている専門店に立ち寄り、達者な弁舌で店員と値引きの交渉をしていた。
「分かっていながら、どうして私達を仲間に入れてくれたの」
 追い詰められたハチは観念して、手の穴から硬貨を噴出して代金を払う脂身に真意を尋ねた。脂身は硬質な両手を高速で動かして、購入した機械の部品を即席で組み合わせていた。陽炎のように脂身の両腕が消えて、徐々に全貌を明らかにする完成品は、半透明なガラスが空洞の中身を覗かせる円筒状の筒だった。
「僕は人間を救うためだけに製造された機械です。そのせいで、慈愛の情が色濃く設定されているんですよ。ハチさんは僕に助けを求めてくれたから、命がけでレゴスを救う決意を固めていたから、思わず協力したくなったんです。困ったものですよね、僕は仲間とハチさんの両方を助ける手段を考えてる。あなたは僕の仲間と正反対の結末を望んでいるのに」
 脂身の腹部の金属板に長方形の切れ目が入り、ゆっくりと縦に開閉して腹部から縦に据えられたハチの左腕が現れた。ハチは人間の欲求に応える悲しい宿命を背負った脂身の瞳を正視できず、無理な我侭に利用した罪悪感に苛まれていた。
「勝手に腕を持ち出してすいません。腐敗するといけないから、体内の冷却装置を使って冷やしてたんです。今後はこの筒に入れて置けば、半永久的に腐敗することはありませんよ」
 脂身はハチの左腕を取り外して、完成した機械の筒に腕を収納した。途端にガラスで透ける内部は水蒸気で曇り、ハチの左腕は冷気の煙に包まれて見えなくなった。脂身はリヤカーに積んでいたハチのリュックに機械の筒を仕舞い込む。
「ありがとう、脂身さん。脂身さんのことを考えないで無理強いさせてごめんなさい、脂身さんがそんなに私のことを考えていてくれたなんて知らなかった」
 ハチは他人から受けた温情に胸を打たれて頭を下げた。敵意を放っていた眼光は穏やかに鎮まり、罪悪感に翳りの差した顔で俯いた。脂身はリヤカーを引いて歩み寄り、僅かに蟠りの解けたハチの顔を上げさせた。
「そんなに落ち込まないで下さい。ますますハチさんを助けたくなってしまう。僕は仲間の笑顔を取り戻すために戦わねばなりません。ハチさんの存在は、僕達の作戦の大きな足枷となる。一日中考えていましたがいい方法が浮かばないんです。僕は、どうしたらあなたを救うことができるのでしょうか」
 脂身は智頭の抹殺に躊躇しているようだった。ハチは胸を締め付けられ、智頭の救出を優先させる身勝手な頼みはできなかった。ハチは健気にリヤカーの積荷を整理する脂身を眺め、無力な自分に嫌気が差して長い溜息を付いた。
「ハチさん、僕は復讐を果たしたら、故郷の技術者に本当の人間に造り替えて貰える約束をしてるんです。もし、もしハチさんさえ良ければ、その時人間になった僕とですね」
 脂身は頬を紅潮させて、一気に上昇した内部の熱気を背中の穴から白煙に変えて噴き出した。ハチが顔に白煙を浴びて噎いでいる間に、脂身は単純な慈愛を超越した機械の初恋の丈を伝えていた。
「ごほっ、ごほっ、何か言った、脂身さん」
 案の定、聞き取れなかったハチは、気丈に笑顔を振り撒いて脂身に接した。脂身は照れ隠しするように高速で首を振った。
「い、いえ、なんでもありません。さあ、食料の調達も済んだことですし、そろそろ仲間の元へ参りましょう」
 脂身はリヤカーの取っ手を握って、両肩の穴から赤紫の悪魔染みた翼を虚空に突起させた。蝙蝠の翼にも似た巨大な翼を羽ばたかせてハチの前髪を靡かせる。ハチは未曾有の光景に絶句して、足元が地を離れた脂身の翼の動きに目を奪われた。
「ハチさんはリヤカーの上に乗ってください。落とさないよう気をつけますので」
 脂身の平然とした顔に説得され、ハチは慎重にリヤカーの側面からよじ登った。積荷を覆う布の重石を果たすようにしがみ付き、脂身の翼が羽ばたく度に吹き荒れる強風に短い悲鳴を上げる。
「ちょっと飛ばしますけど、安心してくださいね」
 脂身は妙に不安を煽る満面の笑顔で振り返った。ハチが固唾を飲んで見守ると、脂身は強大な翼の筋肉でリヤカーごと宙に舞い上がり、渾身の力を込めた両翼を後方に羽ばたかせて一気に風と化した。ハチは身を伏せて恐怖に絶叫しながら身に襲い掛かる強風に敗れぬよう耐え続けた。
「三分ほどで到着しますねえ」
 脂身は向かい風の影響を受けて、幾許か高音になった声帯でハチを安堵させる。当のハチには後方に流れていく高層ビルの景色を見下ろす動体視力はなく、脂身の気遣いに耳を傾ける余裕すらなかった。
 各々の不安を抱えた二人の質量は、公開処刑が行われる中央広場へと消えていった。
 章生とレグザスが潜伏する廃墟の正面に聳える幾何学模様の建物では、リードマンが明日の公開処刑を巡って、主であるメント・スクルバに中止を訴えかけていた。
「メント・スクルバ様、奴等は見え透いた罠を張って待ち構えていると思われます。レゴスと対等した機械の少年も付いていますし、親族の二人も加担しているようです。ここはキャッスル内での処刑に切り替え、テレビ配信だけに留めるべきかと」
 メントは智頭を捕らえた牢屋の外で苛立ちに頬を引き攣らせていた。十年の歳月を掛けて築き上げた支配の世界を智頭に半壊され、更に支配者として君臨する筈の自分が少数の勢力に怯えて、智頭の死骸を大衆の面前に晒す待望した祭典を放棄するなど、誇り高い自尊心が許せなかった。
「お前は俺の名を知って進言しているのか。俺はメント・スクルバ様だぞ。そんな心配よりレゴスに殺された人員の確保は急いでいるんだろうな。一年我慢してやるから、三億人支配して俺の世界に連れて来い。人間なんてのは、俺の統治に納まって初めて幸福を得れるんだからな」
 メントは歯軋りを鳴らせて、側近の任に就いたリードマンに指示を与えた。リードマンは女神の微笑を崩さぬものの、牢屋内から極大の憎悪を放つ智頭の威圧に押されて、各地の景色を映し出す窓に体を張り付けていた。
「ですが、リードマンの全体数が約半数に減り、作業が難航しております。メント・スクルバ様が、新たなサードマンの支配に別の世界へ立たねば、一年では到底間に合いません」
 リードマンは気力で首だけメントの方を向いて芳しくない現状を告げた。メントは舌打ちを鳴らして背後に振り返り、鉄格子越しに殺意を放つ智頭の瞳を恨めしそうに見据えた。
「お前が来てからろくなことがないよこの破壊者が。俺の手にも落ちぬ凶悪な意思が、他人に憎悪を求めることとは、つまらぬ奴だ。いいか、公開処刑は予定通り行う。奴等が俺の楽しみを邪魔するようなら支配してやるだけだ。処刑が終わり次第俺はリードマンの確保に向かう。分かったか」
 メントは脅迫紛いの怒号で意向を伝えて、颯爽と建物内に設置された寝室に引き返していった。側近のリードマンは無策で公開処刑を執り行う主の強情さに頭を痛めた。脂身改造マークワンを擁する勢力は、予めメントの性質を詳細に知り尽くした上で策を立てたのかもしれない。
「千二十一号、これ以上抑え付けていられません。早急な人員の補強をお願いします」
 牢屋内で智頭を拘束するリードマンが外の側近に意思を伝達した。智頭を拘束するリードマンは既に三十人近くに膨れ上がっていた。智頭は限度を越えた殺戮の抑止に憎悪を煮え滾らせ、日増しに全身から放出する威圧を増幅させていた。虹彩は血に飢えた深紅に染まり上がり、食欲に飢えた鋭い牙を剥いて咆哮を上げる。
「うおおおおおおお、お前ら全員皆殺しだあ」
 怒声と供に智頭の濃密な威圧が駆け抜けて、空気が憎悪に震え上がり、リードマンは体勢を崩して吹き飛ばされ掛けた。牢屋の外で傍観する側近のリードマンはフードに手を触れ、早急に二十名の増員を要求した。 
「この化け物め」
 側近のリードマンは公開処刑に不安を募らせてぼやいた。
 中央広場に到着したハチと脂身は総員に食料を配り、決戦の準備を行っている間に夜は明け、遂に公開処刑当日の正午を迎えた。


  
 それは金管楽器を演奏するよう支配された住民の合図と供に開始された。
 公開処刑を見物するように支配された住民は、処刑台正面に陳列された五千余りの椅子に腰掛け、幾何学模様の建物から登場するメント・スクルバに嗚咽染みた歓声を送った。 
 愛用の黒合羽を羽織ったメントは、リードマンが左右に別れて花道を形成する赤い絨毯を踏み締める。集結した住民を高みから見下ろせる処刑台には、頭を穴の中に押し込み首を切断する典型的な断頭台が設置されていた。公開処刑の主役を務める智頭は姿を現していない。
 メントは歩きながら観客席の奥で待機する勢力の一人と視線を絡ませた。丁度、正面の廃墟の窓から顔を出す脂身の機械の瞳と交わっていた。脂身の傍らには銃弾を装填して待機するレグザスと、リュックを抱いたハチを部屋の片隅に隠して、攻撃を通過させる窓に近寄らぬよう厳重注意する章生の姿があった。コンクリート造りの簡素な室内には午前の内に用意された食料と予備の武器が敷き詰まった木箱が置かれている。
 メントは挑発めいた微笑を送って処刑台に延びる段差を登った。廃墟に潜む愚者どもを、支配された住民どもを、この世界の支配者である優越感を以て処刑台の上から見下ろした。
「皆の衆、よくぞこの祭典に集ってくれた。心から謝辞を表するぞ、ありがとう」
 メントはマイクを手に携えて拳を頭上に掲げた。実際に嗚咽を洩らす住民の拍手が爆発して鳴り止まない。肩越しにカメラを構える十人余りのカメラマンが処刑台をぐるりと囲んで、偉大なメントの横顔を拡大して映していた。
「予定通り、何の策も弄さず出てきたな。そろそろレゴスが登場するぞ、総員ライフルに弾を込めて待機しておけ、俺が合図するまで、はやるなよ」
 廃墟に潜むレグザスが、小型の無線機を口元に当てて指示を送った。章生は木箱からライフルを取り出して、後部から弾丸を込める。智頭を狩れる千載一隅の好機に不気味な笑みを湛えていた。
「お兄ちゃん、本当にお姉ちゃんを助けるんだよね」
 ハチは切迫する激戦の予兆に怯えて章生に尋ねた。章生は黒い本心を愛想笑いで誤魔化して、破れた窓枠から顔を覗かせライフルを握り締めた。
「それでは、皆の衆が待ち焦がれた、凡そ五十の世界を破壊したと伝えられる破壊者レゴスの入場だ」
 メントは司会のような紹介で幾何学模様の建物に手の平を差した。メントの合図で金管楽器の華やかな演奏が鳴り響き、両手から拘束の光を放つ五十体のリードマンを引き連れて、純白の服に身を包んだ智頭が姿を現した。その顔は嫌に穏やかで、狂気の猛りを堪えているようでもあり、公開処刑に集った全ての人間に歪な愛情を注いでいるようでもあった。  
 智頭が赤い絨毯を踏み締める度に、廃墟に潜んだ勢力の憎悪は膨れ上がって、引き金に添える指に力が宿る。復讐に燃え滾る勢力の眼光は、メント・スクルバを無視して智頭のみに注がれていた。
「シールド発動十秒前です。予定通りメント・スクルバを優先して狙撃して下さい。マークン、レゴスは任せましたよ」
 平静を装った一人が総員を宥めるように指示を送った。脂身は両肩の穴から悪魔の翼を突起させて窓枠の上によじ登っていた。硬質な両手は淡い光を纏って強度を数倍に増している。レグザスがシールド発動までの秒数をカウントする間に、脂身は背後で智頭の救出を懇願するような涙を目に湛えるハチに振り返った。智頭の死への恐怖に肩を震わせ、少女の弱さを露呈して立ち尽くすハチに、脂身は申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
「ごめんなさい。やっぱり無理です。僕にはあなたを救えそうにない」
 脂身は悲愴めいた顔付きでハチに謝った。智頭に殺意を抱くレグザスと章生はハチを睨み付けて圧力を掛けている。ハチは彼らを利用して智頭を救出する筈の提案を出した章生の胸中を探っていた。
「大丈夫、きっと智頭は助かるよ」
 章生は無表情に偽りを述べてハチを突き放した。ハチは涙を頬に伝わせて不安に高鳴る胸を押さえ、両翼を羽ばたかせて処刑台の方角へ飛び立った脂身の窓枠に駆け寄った。
「いやあああ、お姉ちゃん、逃げてえ」
 ハチは絹を引き裂くような悲鳴を上げて、処刑台の上に登った智頭に脱出を促した。智頭が瞬時にハチを発見して久し振りに視線を絡ますと、処刑台の傍から巨大な爆音が鳴り響き、幾何学模様の建物を除いた中央広場一体が薄い電気の膜に包まれた。シールドの内部に封じ込められたリードマンは突然の事態に慌てふためき、フードに手を触れてこの世界に潜む全てのリードマンに状況を伝達する。
「シールド設置完了、目標メント・スクルバ、各自一斉に放てえ」
 声を振り絞ったレグザスの合図と同時に、総員のライフルの銃口から復讐の弾丸が放たれた。三十発余りの直線の弾道が集結して、驚愕した表情を張り付かせるメント・スクルバの頭部に伸びていく。
「馬鹿が、レゴスの処刑を待たずして俺を狙うだとお」
 メントは弾丸が脳天を直撃する寸前で高く跳躍して回避した。上空のシールドまで飛び上がったメントは電気の膜に背中を掠め、全身が痺れるような激痛に襲われた。幾何学模様の建物内で警戒を払っていた数千体のリードマンは強引に突入しようとするが、強烈な電気の反発に弾かれて内部のリードマン以外は応戦できない形になった。
「レゴス、お前の相手は僕だ」
 両翼を羽ばたかせる脂身は遥か上空から智頭に挑戦を挑み、切れ目を生じた硬質な両腕の肘から下を発射した。解き放たれた両腕が業火を纏って処刑台に降り注ぐ。智頭は拘束の光を緩めて狼狽する背後のリードマンを一瞥して、攻撃を受け止めるように強引に持ち上げた右腕を頭に添えた。
 間髪入れずにメントに発射されたライフルの銃声と供に、智頭の処刑を待ち侘びる観客を巻き込んで処刑台が大爆発を起こした。智頭を拘束する後方のリードマンの肉体が根こそぎ弾けて、電気の膜まで一直線に吹き飛んでいく。脂身は発射した両腕を引き戻して元通りに連結させ、焦げた臭気を発する黒煙に隠れる巨大な殺意の塊を見下ろした。
「ふふ、あはははは、いったいよお、痛いよおおお。これが君の憎悪なのお」
 智頭の歓喜が混じった苦痛の絶叫が中央広場一体に響き渡った。廃墟に潜む生身の肉体が瞬時に凍り付き、拍動が停止しそうな恐慌に陥った。平然と智頭の威圧を受け流すメントは隙を逃がさず、数十体のリードマンと協同して高く跳び上がった。両手に八本のアンテナを生成して指に挟み、廃墟の窓から顔を覗かせる愚者に支配のアンテナを投げ付ける。リードマンは手の平に凝縮させた支配の光を解き放った。
「まずいぞ。総員、回避しろお」
 漸く我に返ったレグザスは無線機に吠えて顔を引っ込め、高速で窓を通過する支配のアンテナを寸前でかわした。章生は冷静にハチの頭を地面に抑えて支配の光とアンテナをやり過ごしている。ライフルを構え直して瞬時に攻撃に転ずる章生は、全力で廃墟に駆けてくるメントに照準を合わせた。
「お前はお呼びじゃないんだよ。こっちに近寄るな」
 章生はメントを威嚇するように引き金を引いた。大きく逸れた銃弾は軌道を修正して、メントの後頭部を貫くように旋回する。メントが舌打ちを鳴らして余裕で跳び上がると、体勢を整えたレグザスが放った銃弾が待ち構えていた。この世界を支配する強大な能力者の眉間に銃弾が減り込む。メントは咄嗟に体を後方に反らして受け流そうとするが、銃弾はそれより早く柔らかな脳を掘り進んで後頭部を貫通した。廃墟の四階まで跳び上がっていたメントは苦渋の悲鳴を上げて意識を喪失させ、体を反転させて真っ逆様に堅い地面に叩き付けられた。
「やったぞ皆、遂に、遂にメント・スクルバを倒したぞ」
 レグザスは歓喜に湧き上がって無線機に伝達するが、返事は脳を支配された仲間が殺し合う狂った奇声だった。章生は顔を蒼白させるレグザスを宥めるように静かに頷き、大爆発の際に発生した黒煙に潜伏するリードマンの処理を急いだ。
 大爆発の黒煙は既にシールド内部の全域を覆い隠していた。脂身は忽然と気配を絶った手負いの智頭を、淀みのない視界を切り開く機械の瞳の特性を活かして探っていた。脂身が周囲を軽く見渡すと、五十体近くのリードマンが何やら頭を抱えて苦痛に悶えている。戦力として数えられる生き残りの章生とレグザスは、狭い視界に苦労して途方もない方向に発砲しているが、弾道は軌道を修正してリードマンの頭部を破壊していき、徐々にリードマンは数を減らしていた。
「グヘヘヘ、うめえ、やっぱり肉はうめえよ。愛してる、愛してるよお」
 脂身は智頭の声が聞こえた方向に振り向いた。観客席に鎮座する心臓麻痺や全身火傷で全滅した観客の中に、食欲旺盛の智頭が女性の生首を握力で千切って口に含んでいた。純白の服と右半身を黒焦げにした智頭は忍び寄る脂身の気配を察知、生首を口に咥えて愉悦に頬を緩ませた。
「レゴス、貴様はどうしてそう平然と殺戮を行えるんだ。本当に、人間なのか」
 脂身は淡い光を纏った両手を智頭に伸ばした。肘の辺りで切れ目が入り、両手の光度を増して大爆発の元凶となったロケット砲の出力を上昇させている。智頭は限界まで口を開けて生首に齧り付き、原形を留めたパイプ椅子を左手で拾い上げた。
「私に聞かなくても、君もこんなに人を殺したでしょお。まさか私を殺す前に、自分を正当化したいのかなあ」
 智頭は黒煙で視界を閉ざされた見えない脂身に反論した。パイプ椅子を何回か地面に叩き付けて支柱を叩き折り、先端が鋭利に研ぎ澄まされた支柱の四本を両手に抱える。  
「僕は人を救うためにお前を殺すんだ。お前とは違う」
 脂身は背中から白煙を噴出して、最大出力まで高めた硬質な両手を解き放った。智頭は黒煙に生じる光の点を捕捉して、逃げるように駆け出した。だが脂身が放った両腕は標的を追尾するように旋回して、高速で駆け回る智頭の背後を捉えていた。脂身自身も両翼を羽ばたかせて上空に舞い上がった。機械の双眸から高熱の細長い光線を発射して、背後を向いて両腕の追跡を確認している智頭の両膝を切断する。
「があああ、いたあい、私の同類が私を苛めてるう」
 智頭は地面に転んで苦痛にのた打ち回った。その間に智頭の背後に着けていた硬質な両手が無防備の肉体に直撃する。智頭は大爆発の轟音と供に血を吐いて弾き飛ばされ、合わせるように上空から急降下してきた脂身の硬質な右足で背中を蹴られて、地面に叩き落とされた。智頭は両手に抱えていた鋭利な支柱を前方に伸ばして、逆立ちの状態で地面に突き刺して着地する。 
「止めだ、レゴス」
 脂身は休息の暇を与えず、発射した両腕を元通りに合体させて、両手の平の穴から高圧力のエネルギーの光を放った。黒煙を貫く極太の閃光が、地面に手刀を打ち込む智頭の体を包み込み、範囲内のコンクリートの地面を円状に蒸発させた。
「やったか」
 脂身は両翼を高速で羽ばたかせて突風を起こした。黒煙が除去された円状に蒸発した地面には、智頭の姿が跡形もなく消えている。脂身は地面に着地して入念に確認するが、やはり智頭の姿は何処にも認められなかった。
「ごめんなさい、ハチさん。僕にはこうするしかなかったんです。あなたの恨みは全て僕が受け止めます」
 脂身は復讐を果たした達成感に酔い痴れず、寂しげに生き残りの仲間の元へ戻ろうとすると、残り五体となった内部のリードマンの頭に刺さった意思のアンテナが外れて、本来の形態へと姿を変形させていた。女神の容貌が崩れておぞましい怪物の形相に変わり、華奢な手足は筋肉が隆起する豪腕へと変質した。意思の支配が解けて元に戻ったこの世界のサードマンであろうその生物は、全長五メートル近いひぐまに似た生物へと完全に姿を変えた。毛深い両手で二又にわかれる巨大なフォーク状の槍を握っている。
「バオオオオ、人間は殺す、この世界の人間は全て抹殺してやる」
 サードマン一同は憎悪の咆哮を上げて、廃墟から小粒を乱射する章生とレグザスに鋭い眼光を放った。シールドの外部では洗脳が解けた住民が悲鳴を上げて、槍を振り回すサードマンの群棲から逃げ惑っている。脂身は目の前に広がる想像を絶する光景に愕然としていた。復讐を果たして訪れる筈だった平和は、新たな殺戮への引き金に過ぎなかった。
「どうしたのお、そんなところで固まっちゃって。早くあいつらからハチを助けてきてよ」
 脂身の背後から冷たい声が聞こえてきた。脂身が慌てて硬質な両手に光を纏って振り返る前に、世界を破壊する本来の殺意を全身に纏った智頭が、サードマンから奪ったフォーク状の槍で脂身の胴体を貫いていた。
「あぐっ、ぐうう、何故、お前が生きている」
 脂身の胴体に開いた穴には、火花を放出する破損した金属の血管が垣間見えた。黒焦げに焼かれた筈の智頭の右半身と純白の衣服は再生して、切断された筈の両膝までもが元通りに完治している。智頭の余裕たっぷりの笑みは、重い使命を背負って健闘した脂身を賞賛しているようだった。
「地面に穴を掘って隠れただけさ。後は大勢の憎悪が聞こえてきたから手傷を回復しただけ。私は憎悪を餌にして生きているからね、憎悪が強くなればなるほど強くなれるのさ。結構楽しかったよ、どうもありがと」
 智頭は理不尽な肉体の説明を終えて、即座に渾身の力を込めた左拳を脂身の顔面に放った。
「くそお、皆、ごめん。僕は、誰一人救えない役立たずだった」
 拳が接触する瞬間、爆発したような轟音が鳴り響き、脂身の頭部が胴体から千切れて弾け飛んだ。高速で回転する抜け殻の頭部は、シールドが発する電気の膜に衝突して木っ端微塵に爆発した。智頭は胴体を貫通する槍を抉って引き抜き、膝から崩れ落ちる脂身の機械の屑を尻目に背を向けた。強奪した槍を頭上で旋回させながら、廃墟からライフル銃で必死にサードマンに応戦する章生とレグザスの元へと駆け出す。
「くそ、全くの計算外だ。支配者を倒すと洗脳が解けるぐらい予測できた筈だ。どうしてそこまで頭が回らなかったんだ」
 レグザスは焦燥感に駆られて弱音を吐いた。章生は弾薬が敷き詰められた木箱に手を差し入れ、迅速に弾を込め直して愚鈍な足取りで距離を縮める三体のサードマンに発砲した。空を切り裂く弾道で眉間に命中するが、剛毛に覆われた皮膚は頑丈であり、体内までには貫けずに弾かれていた。章生とレグザスは視界を塞ぐ黒煙の影響で、生物の手傷の程が把握できていない。 
 章生に無謀な飛び出しを怒鳴り付けられて部屋の片隅で怯えるハチは、一刻も早い戦闘の終焉を願って耳を塞いでいた。シールドの外部から多発する住民の断末魔は廃墟まで届いていた。
「どうやらライフルが効いていませんね。ハチ、このままでは犬死だ。広場に転がる死者のゲージを使ってこの世界を脱出しよう」
 章生は協同戦線を容易く破棄して延命の最善策を選んだ。レグザスは咄嗟に造反を企てる章生の眉間に銃口を突き付ける。
「何を考えているんだ貴様は、すぐに脂身が戻ってくる。俺達はもう暫く耐えていればいい」
 章生は冷静に黒煙を凝視すれば捉えられる距離に迫ったサードマンを眺めた。脂身が智頭を倒したと仮定しても、急いで帰還せねば廃墟からの脱出までには間に合わないだろう。章生は視線を戻して、額から冷や汗を滲ませて躊躇するレグザスを嘲笑った。
「あなたは仲間を撃てない意外と優しい人ですよね。だから非情に徹せませんよ。僕のようにね」
 章生はゆったりとした華麗な動作で、ライフルの銃口をレグザスの鼻先に押し当てた。銃口を突き付けられた状況下で、反逆者の始末に躊躇するレグザスに微笑を送り、冷酷な瞳で引き金を引いた。
「がばっ」
 レグザスの鼻先の皮膚を抉って脳内に潜り込んだ銃弾が、容赦なく後頭部を貫通して背後の壁に衝突した。残酷な光景に目を覆ったハチは、冷静にレグザスの口から鍵を抜いて服を剥ぐ章生に智頭の面影を重ねていた。
「ハチ、誤解しないでね。僕はハチとの約束を忠実に守ってるだけなんだよ。さあ、武器と食料をリュックに詰めてゲージを越えるぞ。智頭の安否より、まず自分の命を守るんだ」
 章生は普段通りの笑顔でハチに命令を下した。ハチは章生の心の奥底に潜む本性に怯えて頬を引き攣らせた。
「グボオオオッ」
 間近に迫っていたサードマンの野太い悲鳴が響き渡る。章生とハチは咄嗟に窓枠に視線を向け、槍を豪快に振り回してサードマンの首を刎ね落とす智頭の残像を捕捉した。瞬く間に三体のサードマンは重量感に富んだ生首を地面に落とされ、滑らかな断面から夥しい鮮血を噴出する。
「お姉ちゃん、生きているのね」
 ハチの歓喜の呼び掛けに応じるように、智頭は崩れ落ちる直前のサードマンの肉体を駆け登り、廃墟の五階の窓枠に高く跳躍した。章生はライフルに弾を込め直してコンクリートの壁に身を潜める。
「お姉ちゃん、会いたかった。私はここだよ、お姉ちゃん」
 ハチは窓枠に迫ってくる智頭の懐かしい全体像に駆け寄った。ハチが窓から数歩離れた位置で静止した頃には、窓枠に着地した智頭が、最愛の妹の成長振りを観察するかのようにハチの瞳を覗き込んでいた。
「やあ、ハチ。可愛くなったね。憎悪がないのは相変わらずのようだけど。困ったなあ、これじゃあまたお預けだよ」
 智頭は残念そうに顔をしかめながらも、涙を零して駆け寄ってくるハチを抱き締めてあげた。ハチは嗚咽を洩らして智頭を二度と離さぬように全力で抱擁する。智頭は子供をあやすようにハチの頭を撫でていた。
「お姉ちゃん、私とお兄ちゃんと三人で一緒に暮らそう。もう争いや人の悪意に触れるのは沢山だよ。静かな世界で、家族で仲良く暮らしていこ。お願い、お姉ちゃん」
 ハチは渇望する理想の生活を訴えるが、智頭は寂しげな笑顔で首を振り、残忍な殺意を放っていた両目に大粒の涙を湛え始めた。 
「駄目だよハチ。ハチは僕だけのものなんだ。智頭なんかと暮らしたら僕の相手はしてくれないよね。きっと、そうだよね」
 再会の喜びを交わす二人を傍観していた章生は、足音を殺して智頭の背後に忍び寄っていた。破壊者を侮蔑する冷酷な瞳でライフルの銃口を智頭の後頭部に突き付ける。
「お兄ちゃん、止めて。もう争いはいいよ。家族皆で仲良く暮らせる方法を考えようよ。どうして、家族なのに憎しみ合わなきゃいけないの」
 ハチは疲れたように体を預けてくる智頭を抱き留めながら章生を睨み付けた。章生はハチの寵愛を独り占めする智頭への憎悪を膨らませて、悔しそうに歯軋りを鳴らす。引き金に添えた指が痙攣して、静止を訴える最愛のハチの訴えと葛藤していた。
「ごめんね、兄貴。私は兄貴のことが大好きだった。兄貴は女にもてないから、私が子供を産んであげようと考えたぐらい好きなんだよ。だからさ、これから私が何をしようとも、誤解しないで欲しいんだ。私は、誰よりも家族を愛してるんだよ」
 智頭は大粒の涙を零して、そっとハチを引き離した。槍を右手に携えて立ち上がる智頭は、嘗て見せたことのない愛憎に崩れた表情で章生を見据えていた。ハチと章生は、智頭が初めて涙を流す光景に我が目を疑っていた。
「兄貴、ハチ、ごめんね。私は憎悪を求めることでしか、生きられないの、だからね」   
 章生は呆気に取られて冷静さを欠き、引き金に添えた指を引けなかった。智頭は巨大な槍を真横に振り被り、悲痛に顔を崩しながら横殴りに振った。無情な槍の穂先が章生の首筋に突き刺さる。
「があああっ、智頭、貴様あ」
 章生は激痛に我を取り戻して、極大の憎悪に打ち震えて引き金を引いた。高い銃声と同時にブチリと章生の首が胴体に別れを告げる無情な音が鳴る。智頭は高速で撃ち出された弾丸を歯で受け止め、槍の刃先に吊るされた憎悪を張り付かせる章生の死に顔を寂しげに眺めた。絶命した章生の肉塊から噴き出す鮮血が智頭に降り注ぐ。ハチは目を剥いて足元をおぼつかせ、生前の体温を保った章生の肉塊に触れた。
「嘘、嘘でしょ。お姉ちゃん、もう嫌だ、嫌だあ。死にたい、苦しいよお」
 ハチは絶え間なく襲来する悲惨な現実全てを嫌悪して、虚ろに破れた窓枠に歩み寄った。命の灯火が消え去りそうに胸が鈍い軋みを上げて、自殺願望に満ちた体を窓枠から乗り出す。
 ハチの上半身が廃墟の外に露出された落下寸前のところで、大粒の涙を流す智頭がハチの背中を掴んで自殺を制止した。
「ごめんね、駄目なお姉ちゃんで。ハチ、生きて、私に憎悪を抱いてよ。お願い、私を、助けて」
 智頭は強引に背中を引っ張ってハチを室内に投げ戻した。章生の傍らに落ちた黄金色の鍵を拾い上げて、服を剥がれたレグザスの腹部に納まるゲージを解放する。智頭は螺旋に渦巻く闇の空間を覗いて、手早くハチの左腕が納まったリュックを持ち上げた。ハチは死相を浮かべて部屋の壁に背を預けていた。残酷な現実を逃避して、壊れた死の呪文を唱えている。
「いつも迷惑ばかり掛けてごめんね。いつかきっとハチが、私を助けてくれると信じてるよ。それまで、生きていてね」
 智頭は巨大なフォーク状の槍を投げ捨て、深刻な精神状態に陥ったハチの右肩にリュックを担がせた。全身を脱力させるハチを肩に担ぎ上げて、レグザスの腹部に渦巻く闇の空間に身を沈めていく。レグザスの胸には分数で五千分の五と数字の羅列が刻まれていた。 
 ハチが闇の空間に顔まで浸かってゲージの移動を果たすと、智頭は安堵したような溜息を付いて、涙に崩れた顔を愉悦と狂気に歪ませた。
「グゲ、グベベベべ、きゃははあ、兄貴い、愛してるよ、愛してるう」
 智頭は残忍な性質を取り戻して、地面に転がる章生の肉塊に飛び付いた。獰猛な牙を剥いて章生の全身を丸齧りにするが、智頭の目に湛えられた大粒の涙には、凶悪な意思を押され切れない悲しき習性を暗に映し出していた。
 この世界の住民が復権したサードマンによって全滅したのは、智頭が章生を喰らい尽くした翌日のことだった。

(引き続き ブラックゲージ 〜 第四章 蟻の中 〜 をお楽しみください。)

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